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日本国の原型?古墳時代を眺める1【歴史に怪奇&ロマン】

今回は、遺跡探訪等のきっかけになればと、古墳時代をざっくりと眺めます



前回「米農業で社会は大変遷?弥生時代1【歴史に怪奇&ロマン】」では、大規模農業を一因に、むらとむらが統合してくにとなっていく様子を見ました。

(強引に現代に例えて、複数町内会がまとまって市町村に、複数の市町村がまとまって都道府県になったイメージ。)


今回はその続き。

市町村や都道府県程の小国がまとまって、日本列島広域に及ぶ国の出来上がる様子を、時代の順に眺めます。


原始日本国誕生?とされる時代でもありますね。「太古のロマン」として語られる人気の時代でもあって、歴史番組や小説等でもよく取り上げられます。


本記事が、そうした書籍に触れるきっかけになればとも思います。



第一章では、古墳時代の定説は覆ることや歴史勉強においての注意点等を見ます。

第二章から古墳時代の流れです。日本国の原型か?またその王の正体は?古墳時代出現期・前期を眺めます。

(以下、続きの他記事です。)

第三章では、日本列島広域政権の躍進か?日本史上最大級の古墳が出現した、古墳時代中期を眺めます。

第四章では、古墳の有り方が変わった?小さくなったり形が変わったりの古墳時代後期~終末期の古墳の特徴を眺めます。

第五章では、日本列島広域統治について、ヤマト政権の統治制度を眺めます。

第六章では、大伴氏・物部氏・蘇我氏等による、熾烈なヤマト政権内部抗争を眺めます。


分量は、各章文庫本換算5~10P程です。(他記事は「本blog全記事の一覧」へ。)





(※ご注意ください。

以下内容は、古墳時代や米農業以外にも当てはまる場合もあります。

以下内容では、規模や階層等の例えに、町内会・市町村・都道府県・国・中小企業社長・従業・給料等のことばを用います。ただし、現代のそれらとは関係ありません。また、古墳時代当時、そのようなことばは使われておりません。

本記事は、歴史の流れを眺めるものです。政治思想や国家観といった思想を示すものではありません。

本記事タイトルに「ロマン」と有りますが、本記事筆者は戦争に対してロマンを抱いているものではありません。)


第一章:古墳時代の定説は覆る


古墳時代の流れを見ていく前に、この見出しでは、歴史教科書等で見られるような古墳時代の一般説は、どのようにしてでき上がったのかを見ていきます。

古墳時代は史料が少なくて、今後も一般説は変わる可能性が有ります(歴史全般に言えます)。一般説がどのようにしてでき上がったのかを知ることで、一般説の正確性やら危うさの判断材料にもなるし、さらに古墳時代の醍醐味の一つ「自分で推理する」ことにもつながります。


①事務史料や文字資料に乏しい古墳時代|第一章:古墳時代の定説は覆る


考古学や歴史学の調査は、あらゆる分野の専門的調査を、総合して行われます。

例えば、

・物理学的な技術を用いた調査
・当時使用されていたものの現在は埋まってしまっているものを掘り起こす等の調査
・当時の事務書類を読み解く調査
・当時制作された文字文学の読解や口承文学の分析
・発掘物の種類や発掘件数等からの統計的調査

等々。


以上以外にもさまざま有るし、今後も調査方法は増えたり精度アップすると思われます。



古墳時代(西暦換算200年代半ば~600年代半ば程)の調査は、上で言うなら、物理学的技術を用いた年代測定、発掘調査、歴史書(中国の歴史書や日本書紀等)読解、発掘されたものの種類や件数等の統計調査やそれによる人口予測や経済状況の予測などなどが用いられています。

ただし、古墳時代の調査では、古墳時代当時の事務書類等はほとんど見つかっていないです。

事務所類を用いる調査は、重要です。もし、古墳時代当時の、納税に関する事務書類が見つかったとします。「○○地域から△△地域へ納税致しました。それを△△王誰々様はお受けなさった」等の。

すると、どの地域からどの地域に税が納められたのかを把握できる上に、税を納められている地域こそ権力の中心地の可能性が高いと言えます。

さらに、違う地域からも△△地域へ納税していたという事務所類が見つかったり、△△地域から遠く離れた地域からも納税されている事務所類が見つかれば、△△の王は広範に及ぶ権力を有しているとわかります。

さらに、権力者の名も知れるのです。

古墳時代の史料には事務書類が乏しいため、当時の権力の中心地や権力者の名もわからない場合が多いです。



では、古墳時代の史料の内で、事務所類以外のものは?

物的史料の比率は高いでが、その中でも有名なのは、その時代名にもなっている古墳でしょう。

古墳を調査すると、さまざまなことがわかります。その中でも、権力についてクローズアップしてみます。

古墳時代には、大小さまざまな古墳が、日本列島あちこちで作られています。

最も巨大なものは、近畿地方に集中しています。

また、数は大きなもの程少ないです。

さらに、日本列島広範囲のあちこちの古墳は、ぞれぞれ自由な形式で造営されたのではなくて、共通のルールのもとに作られた形跡もあります。

このことから、日本列島の広範囲で古墳造営のルールを共有するつながりが有ったこと、そのつながりは平等なものではなくて大きさの差等から近畿地方の古墳が上位であったと思われること、大きなもの程数が少ないため上の者程少ないと思われること等です。

また、物理学を用いた年代測定も可能であり、古墳の造営された年代を知ることができます。



ただ、繰り返しになりますが、古墳時代当時の事務史料が乏しいため、古墳の主の名も、正確には分からないともされます。



でも。

古墳時代(西暦換算で250年辺り~600年半ば辺り)の権力者の名はわかっていない、と上に書きましたけど、歴史教科書等で、西暦換算250年より前~600年代以降の権力者の系図も掲載されています。

じゃあ、古墳時代の権力者の名は、しっかりと判明しているじゃん?

でも、ここには注意が必要なのです。


②歴史書をどう捉える?|第一章:古墳時代の定説は覆る


これら権力者の系図は、中国の歴史書や日本書記を基にして作られたものも多いのです。



日本書記とは、西暦換算700年代に作られた歴史書であり、それまでの時代を振り返って「何天皇の時代にどんなことがあった」と年代順に記されているのです。

この記述等から、権力者の系図とするのです。



ただし、日本書紀等歴史書を史料とする場合には、注意が必要です。

まず、古墳時代は西暦換算で200年代半ば~600年代半ばなので、西暦換算700年代に作られた日本書記は、古墳時代当時の史料ではないのです。

それと、歴史書を史料として採用することは、事務書類等を史料として採用するよりも注意が必要な場合があります。

当時の事務書類は当時の行政や日々の業務のため等に必要なものであって、何か特殊な企み等を除いて、基本的に改ざんをする意味は無いはずです。また、誇張表現等も無いはずです。よって、事務所類の内容は、真実の場合も多いのです(もちろんさまざまに裏付け調査は必要)。

一方で、歴史書は、歴史書制作当時の権力者の都合の良いように描く場合だって多いのです。


その表れの一つではないかともされる、日本書記と他の史料の食い違い例も有ります。

日本列島で発見された最古級の文字史料は、西暦換算で400年代半ばに作られたものです。その文字史料には西暦換算400年代半ばの日本列島の広域権力者は、「大王」と呼ばれていたと読み取れるのです。

でも、日本書記によると、西暦換算400年代半ばの日本列島広域権力者は、「天皇」と呼ばれています。

また、現在のところ、日本書記以外の史料で「天皇」と表記のある史料は、最古のものでは、西暦換算600年代のものです。

果たして、「天皇」という表記は、西暦換算でいつから用いられていたのか?以上史料のみでは、判断はできないでしょう。

以上以外のさまざま史料を総合して、さまざま説は有ります。その中に「天皇」という表記の用いられていない時代のことも、日本書紀は「天皇」と表記したという説があります。

その理念は、日本書記の作られた西暦換算700年代は律令という体制が整ったとされる時代であって、西暦換算700年代の天皇やその取り巻きである朝廷は、「昔からずっと、日本列島は天皇が統治していた」と言いたいために、天皇と言う表記のまだ無かった古い時代についての記述でも「天皇」と表記したという説です。


(もちろん、今後の発掘調査で西暦換算200年代に作成された事務書類が発見されて、そこに「天皇」と記されているなんてことも有るかもしれません。)



一方で日本書記には、改ざんするならもっと行っているはずと思える箇所も多々有る等、史実も記述されているとされます。

また、歴史書は権力者の都合で修正されるのなら、どのような修正を施される可能性が有るのか推理することで、修正された分を考慮して実態把握できるという研究等も有ります。

歴史書は、史料として価値無しとは言えません。また、中国の歴史書等外国の歴史書も用いられます。


③総合判断が必要|第一章:古墳時代の定説は覆る


結局のところ、古墳時代の調査にせよどの時代の調査にせよ、あらゆる史料を総合することが重要です。

歴史書のみ見ていると歴史書の内容こそが歴史の真実に見えてきますし、物的史料のみだと人の営みの具体的な内容が見えてこないなどなど。

また、以前は、口承文学は時代によって内容が変わるので歴史研究に用いることはできないとされていたが、現在では調査方法の発達等から、文字の無かったさらに古い時代のことを探る史料としての価値も見出されています。

今後の各調査や新調査方法の確立等にも、注目してください。



では、いよいよ古墳時代の流れに入っていきます。


第二章:古墳時代出現期・前期


古墳時代は、西暦換算で200年代半ば~600年代半ば程にあたります。基本的には巨大前方後円墳の出現をもって、古墳時代ははじまります。


①弥生時代と古墳時代の違いの一つ|第二章:古墳時代出現期・前期


古墳時代の一つ前である弥生時代(西暦換算で紀元前1000年辺り~200年代半ば)にも、時代の新しくなる程に大きな墓は作られていましたけど、古墳時代には属しません。



米農業で社会は大変遷?弥生時代1【歴史に怪奇&ロマン】」で、弥生時代に大規模農業をはじめたことをきっかけに、集落は統合をして大きな集団になる様子を見てきました。

強引に現代で例えるなら、町内会にはじまった集落は、集落どうしの吸収合併や連合等で、市町村、都道府県と統合して大きな集団になっていきます。

古墳等物的史料は、物理学的年代測定等によって造られた年代を知れますが、弥生時代の権力者の納められているとされる大きな墓は、時代の新しくなる程に、より大きくなっているのはわかります。

おそらく、時代の新しくなる程に集団は統合して大きくなったために、墓を造るために動員できる人員が増えたことで、墓は巨大化したとも考えられます。



その後、段違いに大きな前方後円墳は登場します。

巨大前方後円墳の登場の辺りで弥生時代を区切って、古墳時代に突入します。

巨大前方後円墳の登場やそれに関連するいろいろなことは、日本列島が広域にまとまり出したことを意味するとされます。

まず、巨大前方後円墳を造営するには、たくさんの人手が必要になる可能性もあります。従来の弥生時代の大きな墓の造営よりも、より広範囲に人手を集めていた可能性も有ります。

また、巨大前方後円墳の出現した年代ぐらいから、同年代の日本列島の広域に多数ある巨大前方後円墳よりは小さい大小さまざまな古墳や墓の形状や納められている副葬品等に規則性等を見出せるようになります(弥生時代の大きな墓では地域によって形式はバラバラ)。

このことから、巨大前方後円墳の主と巨大前方後円墳よりは小さい同年代の日本列島の広域に有る大小さまざまな古墳や墓の主との間には、規則を共有する関係が有ると考えられます。つまり、日本列島の広域で、つながりができたのです。

さらに、古墳や墓に大小差が有ることで、上下関係も考察されます。

つまり、巨大前方後円墳の主をトップに、大きな墓の主がそれに従い、さらに小さな墓の主がその下に従うという、何段もの階層的支配体制が日本列島広域で起こった可能性も有るのです。

日本列島広域に、そのような支配体制が出来たことは、日本国の原型の登場を意味するかもしれません。

巨大前方後円墳の登場によって弥生時代を区切って古墳時代とすることには、日本列島は広域に跨って統一されつつあることも意味するのです。

また、この日本列島広域を統一する政権をヤマト政権と言い、トップを大王(後の天皇)とします。



ただし、統一といっても、トップに強い権限の有る等「強い統一」ではないとする説も多々あります。

古墳時代の次の飛鳥時代の政治行政の様子、古墳時代の古墳の状況、前回「米農業で社会は大変遷?弥生時代2【歴史に怪奇&ロマン】」で卑弥呼は日本列島内の国々の寄り集まって共立された等の記述からすると、古墳時代ヤマト政権は、日本列島内の国々の寄り集まっていた状態とする説も多いです。



(以上は、反対説も有ります。あくまで、一般説です。また、古墳時代も数百年間有り長いため、統一の状況は変遷します。)


②古墳時代出現期・前期の流れ|第二章:古墳時代出現期・前期


最古級の巨大前方後円墳は、西暦換算で200年代半ば(前半とする説もある)のもので、場所は現在の北九州地域・奈良県・京都府・静岡県です。

ただし以上の地域で、特にどこがさきがけなのか等は現在のところ不明です。

西暦200年代半ば~600年代半ば年辺りの古墳時代ですが、巨大な前方後円墳の出現した西暦200年代半ば辺り~400年辺りまでを、古墳時代出現期・前期と区分します。



次に、ほんの少し時代の新しい或いはほとんど同年代の西暦200年代半ば~後半に、段違いに巨大な前方後円墳が、現在の奈良県に造られます。

箸墓古墳(はしはかこふん)です。墳丘長は、278mに達します(それまでの前方後円墳は大きくて120m程)。



その後、古墳時代出現期・前期の巨大前方後円墳の造営は、奈良県に多く見られます。このことから、日本列島広域支配者のトップは、奈良県に居続けた可能性も有ります。



ただし、近畿地方以外にも、有名な巨大前方後円墳は有って、次のものです。

・西暦300年代後半に造られた山梨県の甲斐銚子塚古墳(かいちょうしづかこふん・墳丘長169m)。

・西暦400年代に造られた岡山県の神宮寺山古墳(墳丘長は約150m)。

・同じく西暦400年代に造られた広島県なる三ツ城古墳(みつじょうこふん・墳丘長は)。


これら巨大前方後円墳は、同時代の奈良県の巨大前方後円墳に大きさで及ばないものの、十分に「巨大」前方後円墳と呼べる規模です。

おそらく、地方有力者(奈良県を中央として)であったと思われます。ただし、奈良県の巨大前方後円墳と形等形式を同じくしている以上は敵どうしではないでしょうし、大小関係等からすると奈良県の巨大前方後円墳に納められる者の方が、序列は上だったとも思われます。



果たして、もっと具体的には、どのような関係だったのでしょう?

地方の巨大前方後円墳に納められた者は、その地方一帯で強い支配権を持っていて特定の場合にのみ奈良県の王に協力していたのみかもしれません。

或いは、奈良県の王と深い関係に有ったため巨大前方後円墳の造営が許されているのであって、権力は奈良県の王の出先機関として命令どうりに動いていたのみかもしれません。

その辺りは、当時の事務史料は残っていない等、わかりません。



いずれにせよ、西暦300年代後半辺りには山梨~奈良~広島に跨る広域政権だったのだろうことは、想像されます。

また、一般説では、巨大前方後円墳の主をトップとする日本列島の広域に及ぶ政権を、ヤマト政権と呼んでそのトップは大王であり後の天皇につながるとされます(反対する意見も有ります)。



(西暦200年代前半に登場した前方後円墳が、西暦300年代後半やその後も造営されていることは、支配者の系譜は受け継がれた、つまり王統の継承が成されたとも言えます。新王統樹立なら、古墳の形を受け継ぐということはしないとも推察されます。

さらに、西暦600年辺りに巨大前方後円墳は造営されなくなるものの、それは王統が滅んだのではなくて、古墳というスタイルが時代にそぐわなくなったことや仏教伝来等影響していると一般説では言われます。

そして、西暦700年代に、天皇をトップとする大和朝廷は日本列島の統治組織を盤石にするに至ります。

天皇をトップとする大和朝廷まで、巨大前方後円墳に納められている王の系統は滅んでいないとするなら、巨大前方後円墳の主というのは、天皇や大和朝廷につながる存在にしてその起源或いは起源に近い存在という可能性も有ります。

その後、大和朝廷は権力をふるう時代もあれば権威のみの存在の時代もありつつ、常に日本史に存在し続けて後に、現在でも大和朝廷トップである天皇は存在し続けています。



とは言え、巨大前方後円墳の主と後の大和朝廷との関係等は、まだまだ謎に包まれています。

また、古墳を造らなくなった理由について、王統の変遷だとする説もあります。また、後の史料の多い時代からの推測ですが、新王統を樹立するよりも先の王統を受け継ぐ者として振る舞う方が良い場合もあって、事実上の新王統だったとする説もあります。)



以上、古墳時代出現期・前期の流れを見てきました。

次に、古墳時代出現期・前期を代表する古墳の一つ、箸墓古墳を、クローズアップしていきます。

どの古墳も重要なのですが、箸墓古墳は教科書等でもクローズアップされる重要な古墳なのです。

納められる王は誰なのか?その歴史上の意義は何か?後の時代への影響は?等を見ていきます。


③箸墓古墳の規模と年代|第二章:古墳時代出現期・前期の流れ


上でも見たことと重複しますが、箸墓古墳の大きな特徴は、出現のタイミング・古さ・規模等にあります。

箸墓古墳よりもほんの少し前もしくはほとんど同年代(西暦200年代前半~半ば)に造られた巨大前方後円墳たちは、大きなものであっても古墳長は100m台です。一方、箸墓古墳(西暦200年代半ば~後半)は、古墳長278mであり、段違いに巨大なのです。

また、箸墓古墳こそが最古の前方後円墳とは言えなくても、十分に古いです。


以上のことからも、箸墓古墳に納められる王に非常に大きな意義が見えてきます。それは次。


・箸墓古墳の大きさからして、箸墓古墳に納められる王は日本列島広域支配と何か関係有り。

・箸墓古墳の造営年代の古さからすると、日本列島の広域支配のはじまりもしくははじまり辺りの年代と思われる。


④箸墓古墳と卑弥呼|第二章:古墳時代出現期・前期の流れ


そして箸墓古墳に納められる王とは具体的に誰なのか?さまざま説があります。



その一つが、中国歴史書の記述等に基づく説です。

中国王朝の歴史書の一つには、箸墓古墳の造営された年代(西暦200年代半ば~後半)辺りの日本列島についても記されています。「西暦100年代後半や200年代前半の日本列島で、卑弥呼率いる邪馬台国は日本列島の広域を治めていた」といった内容のものがあるのです。

また、中国歴史書の一つには、「卑弥呼は西暦249年に死去した」ともあります。さまざまな記述や天文学の計算等も合わせると、卑弥呼は西暦248年辺りに死去したともされます。

上にも書いたように、古墳の造営された年代は、物理学的測定でおおむね算出できます。

すると、箸墓古墳の造られたのは西暦250年辺りであり、卑弥呼の死去したと記述される年代とも一致するのです。

これらによって、箸墓古墳に納められる王は、西暦200年代前半から半ばに日本列島広域を治めた卑弥呼であるという説は、近年強まっています。



(江戸時代にも、歴史書等研究等から、箸墓古墳に納められている王は卑弥呼であるという説は有りました。

一方、箸墓古墳の主は、卑弥呼の後継者という説も根強いです。また、卑弥呼は、箸墓古墳よりももっと古い北九州地域の前方後円墳の一つに納められているとする説だって、あります。)


⑤箸墓古墳の被葬者は卑弥呼以外にもさまざま説|第二章:古墳時代出現期・前期の流れ


日本でも西暦700年代に歴史書は作られました。そう、日本書記です。

日本書記は、西暦700年代あたりからそれまでの時代を振り返って、天皇家の歴史を、「何天皇の時代にどんなことあった」等の形式で記しているのです。

その日本書記に、西暦250年辺りのこと、それ以前のこと、箸墓古墳に納められる者について記されているのです。



日本書記によると、まず卑弥呼という人物は登場しません。

また箸墓古墳に納められる者を、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)と記述しています。

倭迹迹日百襲姫命は、孝霊天皇(こうれいてんのう)の皇女(天皇の娘)であり、大物主神(おおものぬしのかみ)という有力な神と結婚をしたとも、日本書記には記されています。

卑弥呼について中国歴史書の一つには、「卑弥呼は呪術によって人々をまとめていた」と記されております。

中国歴史書にある「呪術」を神事と解釈し、卑弥呼は神事に携わる女性であるとする説は古来よりありますが、倭迹迹日百襲姫命もまた、大物主神との婚姻等神秘的な女性だと解釈し、神事との共通点により倭迹迹日百襲姫命と卑弥呼は同一人物であるとする説だってあります。



(古墳時代より後の史料の増える時代の日本史の研究等で、偉い人にはいくつもの名が有ることが分かっています。遡って古墳時代にも偉い人にいくつもの名が有った可能性は有り、古墳時代辺りについて記した中国の歴史書と日本の歴史書で権力者の名の違うのも、不思議ではないのです。)



そのほか、日本書記の西暦200年代前半~半ば辺りには、神功皇后(じんぐうこうごう)という武勇優れた皇后がおり、卑弥呼=神功皇后であるとする説もあります。



それ以外にも、卑弥呼とは何者であったかについての説はたくさん有ります。是非多数の書籍に触れてみてください。



この後。

西暦300年代後半辺りから、巨大前方後円墳は、現在の奈良県ではなくて、大阪府に造営されるようになります。

このことから、ヤマト政権の中心地は、奈良から大阪に変わったと考えられています。

この辺りで古墳時代出現期・前期を区切って、中期へと突入です(西暦300年代後半~500年代はじめ辺りまで)。


次回「日本国の原型?古墳時代を眺める2【歴史に怪奇&ロマン】」では、日本列島広域政権の躍進か?日本史上最大級の古墳が出現した古墳時代中期、古墳の有り方が変わった?小さくなったり形が変わったりの古墳時代後期~終末期、ヤマト政権の統治制度、大伴氏・物部氏・蘇我氏等による熾烈なるヤマト政権内部抗争を眺めます。


以上「日本国の原型?古墳時代を眺める1【歴史に怪奇&ロマン】」。続きは「日本国の原型?古墳時代を眺める2【歴史に怪奇&ロマン】」へ。



※本記事は科学記事・学術記事ではありません。

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