或る縄文土器の秘密【怪奇話】
この話は、奇妙な形をした、或る縄文土器をめぐる話(コズミックホラー)です。
(分量は、文庫本換算10ページ程ですが、以下目次をタップ・クリックでジャンプできるので、しおり代わりにどうぞ。他の話は「本blog全記事の一覧」へ)。
稲岡良仁(29歳・多摩文理大学考古学科講師)は、多摩地方の或る旧家を訪れた。
たたずまいは、まさに「代々続く豪農の家」。木造の古くて大きなお屋敷を、ぐるりと石垣・木・瓦の塀で囲っている。
現代的な戸建てやアパートの並ぶ住宅街に有って、この旧家は、この辺りが農村部であったこと、自分たちこそは古くからの住人であることを、物語っているようだ。
また、敷地内には、お屋敷よりもさらに古い、蔵も有る。
この旧家の現当主の男(50代半ばくらい)が、古い蔵を整理していたところ、奥から奇妙な形をした土器が出てきたため、多摩文理大学に連絡をしたのだ。
現当主は、古くてそして迫りくるような立派な蔵の前に、円形のぼやけたような奇妙な土器10点程を、シートの上に広げて、稲岡にいろいろと説明している。
先代の兄弟だったかに大学教授がいたらしくて、その人の収集したものではないのかとも言う。
説明を聞きながら、稲岡は、10 点程有る円形のぼやけたような奇妙な形をした土器を、順々に手に取っては置いて、比べてみた。
10㎝四方に収まる大きさ。ペンダント等のように身体に身に着けて飾るものかどこぞに飾るものかだろう。いずれにせよ、実用品ではなさそうだと思う。
また、土器を並べて見ると、何と表現すべきか「ぼやけ具合が徐々に絶妙になっている」とも思う。そもそも、10点それぞれに違う意味が有るなら、形をもっとはっきり区別するだろう。
また、技術レベルは、農業社会より前の時代のものだろう。つまり、土器造りの専門家のいない時代の技術だ。一方で、劣化具合等からして、作られた年代は、それほど古い時代とは思えない。この古い蔵の建てられた年代からしても、江戸時代後期~明治時代ではないか?
全体として稲岡の見立ては、
・江戸時代後期~明治時代に、農業時代以前の技術で土器を作ってみた。
・何度も制作する内に慣れてきて、ぼやけ具合等は絶妙になった。
といったところだ。
もちろん、詳細調査をしないと断定はできない。また、円形のぼやけた形の意味も何に用いられたものかも分からない。
それと、稲岡には、円形のぼやけた奇妙な形の土器は、他で見たか聞いたか覚えが有った。
そう言えば、自身の勤める多摩文理大学考古学資料室や書庫に、円形のぼやけた土器がいくつかとそれらを記述した古い記録が有ったはずだ、と思いだした。
稲岡が旧家で土器に触れている頃、梅雨一(つゆはじめ・市役所土木技官・27歳)は、同市内で、自転車を走らせていた。
同市内に住む、同市歴史に詳しい老人に会うためだ。
駅周辺繁華街を抜けて、江戸時代を想像させるような古い商店街を抜けて、やがて街道に出て、街道に沿って並ぶ戸建てや古い中小ビルの合間を自転車で走っていると、街道を横切る大きな川によって、景色は広く開けた。
川にかかる橋をわたりながら、左側を見る。川は、遠く地平線へ向かって延びて、その先に、地平線を覆うように山々が連なる。
あの山々の麓の辺りに、目指している老人の小屋は有る。
橋をわたると、また戸建てや古い中小ビルが、街道の左右に並ぶ。
そんな街道に沿って、さらに自転車を走らせ続けた。
走らせながら、老人との出会いを思い出す。
梅雨一は、同市市役所で、土木技官として勤めている。その傍らで、休日等に、趣味の歴史研究をしていた。
特に、仕事から派生して、郷土史の研究をよくする。例えば、市の建設事業で、現場となる土地とその周辺について調査をすることも有る。調査の中で、土地の歴史を調べることも多い。歴史好きである梅雨は、自身の仕事範疇をはみだす程に、興味を持つことも多々有る。休日等に、その興味を果たす調査をするのだ。
今回の調査のきっかけになったのは、この前の水曜日の仕事。
市道の山裾の地点を訪れた。
そこより先は、折り重なる山々に分け入って、道路の左右には山が迫る。山には、土砂崩れ防止コンクリートが覆っているものの、上方では木々がはみでており、枝々を炎のように四方八方に茂らせている。いつかコンクリートを破壊するような、くすぶる自然の力を感じさせる。
そんな場所にも家は有る。
梅雨たちが作業をしていると、一人の老人が散歩をしていた。70半ばくらいだろうと、梅雨は思った。
老人は、作業服を着ている梅雨に目が止まって、「何の工事か?」と尋ねる。
梅雨は、名刺をわたしつつ作業の内容を説明する。老人は「松下といいます」と言った。
これをきっかけに、梅雨と老人は立ち話になった。
老人は、近くの小屋で一人暮らしであること、あちこちに転々と引っ越しながら暮らしているものの生まれはこの市内だということ、そして、市内の明治時代の歴史に詳しいこともわかった。
梅雨は老人に「歴史の研究をお好きなんですか?」と尋ねた。老人は笑いつつ、「もともと大学で考古学の教授だった」と言った。
梅雨は失礼な質問をしたことを謝った上で、歴史好きの自分は休日に趣味の歴史研究をしていることを伝えて、時間の有る時にでも、この市の歴史話等を聞かせて欲しいことをお願いした。
老人は、快く承諾してくれた。
それで互いに都合のいい今日、梅雨は、老人の家へ向かっているのだ。
随分と、自転車で街道を走っていた梅雨だが、周囲の住宅も疎らになった。
それから、街道を内に入った。住宅はどんどん疎らになる。
さらに走ると、家自体見なくなって、風にそよぐ木々の音が支配する世界になった。駅周辺では遠くに見えていた山々も、今では、見上げるように迫っている。
そんな、自然の勢力の迫る細い道沿いに、寂しく一軒の小屋が有った。目指していた、老人の小屋だ。
梅雨は、自転車を家の前に停めた。見上げた空は、雨こそは降らないが、灰色の雲が覆っている。
玄関前へと立つと、インターホン等は無いので、大きな声で挨拶をした。
老人は、出てこないものの、返事は有った。「入ってすぐの部屋で待っていてくれ」、と大きな声で言う。
梅雨は、玄関ドアを開ける。小さい玄関から、狭い廊下が真っ直ぐに伸びている。上がってすぐ左手にドアが有る。
この部屋のことだろうと思い、梅雨は上がった。
部屋に入ると、そこは書斎だった。
古い木の机が部屋の奥に有って、部屋中を大きな本棚がぐるりと囲って、古い本がぎっしり並んでいる。
並んでいる本は、さまざま。説話、歴史書、歴史時代を越えて人類登場以前の地質学、古生物に関するもの、また、ニュートン力学や相対性理論や量子力学等といった物理学に関する本も。
古い書籍も多くて、本棚全体で、アンティークの価値すら漂う。
また、本棚の一角に、表紙のしっかりした出版物ではなくて、紙に穴を空けて紐を通しただけの書が並ぶのを見つけた。他の出版物同様、紙が茶けているので、古いものだと分かる。
梅雨はそこに歩いて、書を手に取って中を眺める。印刷物ではなくて、インクで手書きされたものだった。
パラパラめくっていると、同市の歴史の記述を見つけた。それで興味を持ち、パラパラを止めて集中した。
同市の山中で発見された、土器の記述だ。内容は、
・縄文時代中期に作られたもの。
・発見場所周辺に集落跡等は無くて、おそらく儀式等のために、山に持ち込まれたものと推測される。
といったもの。
その記述の後に、土器のスケッチも有った。何と言うのだろう、円形のぼやけたような、奇妙な形をした土器だ。
スケッチの横には、同土器を数学的図形で描いて、輪郭の曲率等数学的説明をしている。
全体として、論文のようにも思った。
梅雨は、スケッチや数学的図形を見つつ、何を表しているのか等想像を巡らす。でも、さっぱりと検討もつかない。
その時、ガチャリと音がして、ドアは開いた。
部屋に近づく気配もない中、いきなり音は響いたので、梅雨はびっくりした。
びっくりした勢いで振り返ると、例の老人が立っている。
「驚かせてすいません」。老人は梅雨と目を合わせながら、一呼吸微笑んで言った。
おぼんを持っていて、そのおぼんの上には湯呑が二つ乗っている。片手でおぼんを支えつつ、老人は電気のスイッチを押した。薄暗い光は、部屋をぼんやり照らす。
「その論文は、私がずっと昔に、作成したものです」。老人は優しく、でも誇らしそうに言う。
梅雨は一瞬疑問に思った。
見立てでは、老人は70歳半ばぐらいだ。この手書き論文は、パソコンやワープロ等の普及する以前に作られたものだろう。となると、この老人が30代くらいに作ったもの。つまり、今から40年程前に作ったものか?
一方で、見立てでは、この手書き論文はもっと年季のあるものにも思える。
もしかするとこの老人は、70代半ばよりも、もっとお年寄りであるのかもしれないと、梅雨は思った。
梅雨は、書を手に持ちながら、口を開く、「以前お会いした時、元学者とおっしゃっていましたよね。こちらの論文は、あなたの作成なさったものですね?」と。
老人は、梅雨を部屋の中程のテーブルにうながしつつしゃべる、
「ええ。
私は、始めは物理学者だったのですが、その論文の中に有る円形のぼやけた奇妙な縄文土器の存在を知ってからは、すっかり魅了されて、考古学の道へと入りました。
まあお座りください」。
老人は、お茶とせんべいをテーブルに置いて、座る。梅雨は、お礼を言いつつ、向かいに座る。
一口お茶をすすって、老人はしゃべりだした。「歴史の勉強はいいですよね。国のことや地域のこと、人類のこと等、新しい世界を知れます」。
「専門は縄文時代の考古学ですか?」と、梅雨。
「お持ちの論文に有る、円形のぼやけたような奇妙な形をした縄文土器の研究に、特に力を入れました。
それから、新発見の喜びをおさえられないように、次々しゃべり出す。
「結論から言うと、円形のぼやけた土器は、縄文時代の信仰の一つです。
私は、物理学者だった頃に、趣味で、昔話の研究をしていた。
昔話は、文字も無い太古から語り継がれるものでもある。地域の事情や暮らし方の事情等も、ストーリーに反映されている。
或る昔話のこの表現なら、狩猟・採集時代のものであり縄文期から伝わっているのでは?この表現は、温暖な地域で暮らす者の発想では?
そんな取り止めのない想像を、趣味でしていた。
その内に、妙なことに気が付いた。
昔話の中には、いかにもフィクションらしい超常的現象が起こるものだって多い。だが、いくつかの昔話では、超常的現象はフィクションではないかもしれないと思った。
話すと長くなるので省略をする。昔話を、時代背景等を基準に時代順に並べたり、伝播の仕方や速さ等を計算すると、交流の無かった地域どうしで同時に、似た超常的現象を扱った昔話も見られた。
もしその超常現象は実際に起こったものだとしたら、物理的には、どんなエネルギーが働いているのか?
私は、そのエネルギーを、数学的に仮定したり計算したりを重ねた。
すると、或る図形を描くことになった。
その図形とは、あなたのお手になっている論文に有る図形。円形のぼやけたような奇妙な図形なのです。
でも、驚いたのはそれからです。
私が図形を導きだしてから、何年か後。
相変わらず、趣味で、昔話や歴史の論文を読んでいた。
そこに、多摩文理大学の考古学研究チームが、〇〇市(梅雨や老人の居る市)の山奥で、奇妙な縄文土器を発見したと書いて有ったのだ。
その土器の写真も掲載されていた。その形は、私の導き出した図形と一致したものだったのだ。
つまり、縄文人の中に、奇妙な円形のぼやけた土器の制作に至った者がいたということなのでしょう。
私は、図形を導きだすために微積分等を用いた。でも、縄文人が現代人の知る数学を知っていたとは考えられない。よって、野生の勘というのか、この宇宙から何かを感じ取ってのことなのだろう。
それから私は、縄文時代の考古学の道に進みました。
次のテーマは、円形のぼやけたような奇妙な形の土器を、私自身で作り出して見ること。
何度も何度も土器を作る内に、徐々にぼやけ具合も上手くなりましたよ。いくつかは、今でも、昔住んでいた家の蔵に有るやもしれませんね。
どれも、失敗ですけどね。」
喜々としゃべる老人だが、梅雨にとっては、何の話しなのかつかめない。ただひたすら、老人のエネルギーに、呆気にとられていた。
老人は、そんな梅雨の表情に気が付いて、話しを中断。「すいませんね。しゃべり過ぎました。この話しになると、ついね」と言う。
梅雨は、「ええ。凄く大変な発見をされたようですね。ただ、僕には難しすぎますね」等当たり障りない返答をした。
老人は微笑んで続ける。
「それでは、江戸時代の終わり頃以降の、この地域の歴史の話でもしましょう。
戊辰戦争の折に官軍からはぐれた一隊がこの付近を通ったとか、天保期において一揆を企てた村が有る等々と、私は色々知っていますからね」。
老人のしゃべり方は、土器を語る時のような激しいものではなくて、穏やかなものになった。
ただ、リアリティは凄まじい。梅雨は、老人の話しに引き込まれていった。何でも知っているようなので、たくさん質問もした。
梅雨が老人と歴史談議をしている頃。
多摩文理大学講師稲岡は、自身の研究室デスクに戻っていた。そして、同大学図書館に所蔵されていた、古い書を読んでいた。
また、デスクには、旧家から持ち帰った、円形のぼやけたような奇妙な形の土器も有る。
書の内容と目の前の土器と、関連有るものか見比べつつ、掻い摘んで読み進めている。
書の著者は、多摩文理大学の元教授。名は、時田信一郎。現在は、お亡くなりになっている。
内容は、円形のぼやけたような奇妙な形の土器を研究していた、師匠教授の記録。晩年、人生を振り返って、師匠教授のことがずっと気になったままであったため、この記録を残したようだ。
(以下、かいつまんだ内容を現代語で。)
『〇〇市(稲岡が訪れた旧家が有りまた梅雨と老人が居る)で発見された、円形のぼやけたような奇妙な縄文土器の研究をはじめてから、松下先生の熱意は凄まじく、我々助手たちは、支えることをできなくなる程だった。
明治三十九年七月九日』
『松下先生が円形のぼやけたような奇妙な形の縄文土器の研究をはじめて、二十年程は過ぎた。私は松下先生から独立して教授の地位を得ていたが、交流等有った。
土器について、松下先生は何かを発見したようであって、満足そうだった。
だが、その発見内容のことを、誰にも言わないのだ。私が理由を尋ねると、その存在を理論的に証明しただけであり、実験で実証する必要があると言う。
それなのに、しばらくして松下先生は退職された。70歳と高齢ではあったが、実証した様子は無さそうであり、研究を諦めになったのだろうかと心配になった。
大正十四年九月十八日』
『私は、幸運のおかげで90歳を迎えた。
病床の私は、松下先生のことを考えている。
松下先生は、円形のぼやけたような奇妙な縄文土器の研究の結果を、人に伝えることをおそらくはせずして研究の世界から身を引いた。また、その後の松下先生の行方について、私は知らない。
松下先生が何を発見したのかを知れなかったことは、私の研究者人生の内で、杭の残るものの一つである。だからふと今、松下先生のことや縄文土器研究のことを思い出したのだろう。
最近、松下先生の孫と名乗る70歳程の男が私を見舞いに来られた。私より25歳年上の松下先生の孫であるのなら、年齢は合点がいく。
だが、何年も研究を共にした相手を間違える程、私は鈍感ではない。あれは、松下先生ご本人だった。松下先生は、70歳くらいからお歳を取られていないというのか?
昭和十九年八月十九日』。
この記述を最後に、記録は終わっていた。稲岡は、その古い記録を閉じた。
稲岡としては、土器研究の参考になるかと思ったのに、自伝的な内容も多い上に、トンデモオカルトじみた話しで締めくくられるというものに、多少落胆した。
それでも、松下先生という者が、円形のぼやけたような奇妙な形の土器について何かを知っていることは分かった。
他に、松下先生の論文はないかと、稲岡は腰を上げた。
梅雨も稲岡も就寝中の午前3時頃。
〇〇市内(稲岡の調査した旧家、梅雨の勤める市役所、老人の小屋が有る)の交番に勤務する麦倉行(むぎくらこう・28歳)は、或るアパートへと、同僚とともに自転車で向かっていた。近隣住民から、一室が騒がしいという通報が有ったのだ。
駅前繁華街を横切る大通りに沿ってしばらく進んで、細い路地へと入った。
静かな住宅街に風景は変わる。中層のマンション、古いアパート、戸建て等が、一車線程の夜道に延々と並ぶ。
街灯は点々と照らす程度の暗い道だが、一か所だけ青い灯りにぼんやりと照らされて、目立っている。
麦倉と同僚は、青い灯りのもとに到着。中層マンションの2F一室から青い灯りは漏れて、夜道を照らしていた。
ここだ。
二人は自転車を停めて、その部屋へとアパート玄関をくぐって、階段を上る。
部屋の前に立つと、中でドタバタしていることが、音でわかる。玄関の外に立つ麦倉にも、すぐにわかる程だ。
麦倉は、インターホンを押した。
中から返事がある。ただし、すぐに出て来ない。
麦倉はふと、振り返る。駅周辺に有る高層ビルたちは、遠く夜空で地平線を隠すようにそびえて、屋上警戒灯をゆっくりと点滅させている。眺めているとどこか遠くで、車のエンジン音や機械音等がこだまする。基本的には静かな夜中の風景だ。
しばらくするとドタバタは止んで、玄関へ向かってくる足音がして、ドアが開いた。
真っ赤なタンクトップを着た、はつらつとした40歳程の女が出てきた。手にはタオルを握って、多少息も上がっている。
麦倉は、ドタバタする音が外まで音がもれて来ていることを伝えた。
すると、女は言う、「ごめんね。今日は、ちょっとうるさかったよね。警察にクレームでも有った?解ってるんだけど、重要な儀式の日なんだよね」と。
肩にかかる程度に伸ばした黒く太い髪を、整えながらしゃべる。
「重要な日ならね、クレームに繋がるかもしれないことは、しない方がいいですよ」。麦倉は応えた。
「そうね。まあ儀式はさっき終わったからいいの」、そう言って女は微笑む。女の目線は、麦倉の目から、麦倉の鍛えられた胸筋をチラ見する。
「じゃあ、もう騒がないんですね。約束ですよ」と言う麦倉に、女は「ええ」と適当に応える。
それにしても。
麦倉は、この女の頭越しに、天井あちこち、絵がつるしてあることに気が付いた。奇妙な絵で、円形のぼやけたような形が描かれている。儀式の話しと合わせて、普通の部屋ではないと感じた。
麦倉は絵を見ながら、「あの絵は何ですか?それと、さっきから言っている儀式って?」と尋ねた。
「この前旅行で小笠原諸島に行ったんだけど、好奇心でさらに南に或る公海上の無人島に漁船で連れていってもらったんだ。
そしたら、そこで原始人みたいな男が踊っていてさ。はじめは不気味だったし、漁船の船長さんも知らない人だって言っていたけど、何だろう、見ているとパワーを感じたのよね。
思い切って話しかけてみると、自分で作った木の船で、自由に小笠原諸島や沖縄やさらに東南アジア辺りを、漂流して暮らしているんだって。原始人の生き残りみたいでしょ。
男は、首から土器を下げていたんだけどね、あの絵のような形をした。それを見ているとね、パワーをもらったような気になったのよ。
旅行から帰って、男の下げていた土器を絵にしたり同じ踊りを踊ったりしているのよ。そしたらね、日に日にパワーが出てくるようでさ。
ちなみに、今日は結婚記念日ね。旦那は単身赴任中だけど。それで旦那のパワーのためにも踊っていたってわけ」。
「はあ…」。麦倉は適当に返事をした。絵に気づいてから、麦倉の意識は、女よりも絵に引き込まれていた。
見る程に、疲れはみるみる飛ぶようだ。いや、それどころではない。中学時代にでも戻ったように、軽い身体になったようにも感じる。
以上「或る縄文土器の秘密【怪奇話】」。
関連話は「原始人?或る無人島で【怪奇話】」へ。
※本小説はフィクションであって、実際にある土地名や団体等とは一切関係ありません。
※本ブログの記事は全て著作権によって保護されておりますことへのご理解をお願い申し上げます。

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(分量は、文庫本換算10ページ程ですが、以下目次をタップ・クリックでジャンプできるので、しおり代わりにどうぞ。他の話は「本blog全記事の一覧」へ)。
第一章:或る旧家の古い蔵に|或る縄文土器の秘密【怪奇話】
稲岡良仁(29歳・多摩文理大学考古学科講師)は、多摩地方の或る旧家を訪れた。
たたずまいは、まさに「代々続く豪農の家」。木造の古くて大きなお屋敷を、ぐるりと石垣・木・瓦の塀で囲っている。
現代的な戸建てやアパートの並ぶ住宅街に有って、この旧家は、この辺りが農村部であったこと、自分たちこそは古くからの住人であることを、物語っているようだ。
また、敷地内には、お屋敷よりもさらに古い、蔵も有る。
この旧家の現当主の男(50代半ばくらい)が、古い蔵を整理していたところ、奥から奇妙な形をした土器が出てきたため、多摩文理大学に連絡をしたのだ。
現当主は、古くてそして迫りくるような立派な蔵の前に、円形のぼやけたような奇妙な土器10点程を、シートの上に広げて、稲岡にいろいろと説明している。
先代の兄弟だったかに大学教授がいたらしくて、その人の収集したものではないのかとも言う。
説明を聞きながら、稲岡は、10 点程有る円形のぼやけたような奇妙な形をした土器を、順々に手に取っては置いて、比べてみた。
10㎝四方に収まる大きさ。ペンダント等のように身体に身に着けて飾るものかどこぞに飾るものかだろう。いずれにせよ、実用品ではなさそうだと思う。
また、土器を並べて見ると、何と表現すべきか「ぼやけ具合が徐々に絶妙になっている」とも思う。そもそも、10点それぞれに違う意味が有るなら、形をもっとはっきり区別するだろう。
また、技術レベルは、農業社会より前の時代のものだろう。つまり、土器造りの専門家のいない時代の技術だ。一方で、劣化具合等からして、作られた年代は、それほど古い時代とは思えない。この古い蔵の建てられた年代からしても、江戸時代後期~明治時代ではないか?
全体として稲岡の見立ては、
・江戸時代後期~明治時代に、農業時代以前の技術で土器を作ってみた。
・何度も制作する内に慣れてきて、ぼやけ具合等は絶妙になった。
といったところだ。
もちろん、詳細調査をしないと断定はできない。また、円形のぼやけた形の意味も何に用いられたものかも分からない。
それと、稲岡には、円形のぼやけた奇妙な形の土器は、他で見たか聞いたか覚えが有った。
そう言えば、自身の勤める多摩文理大学考古学資料室や書庫に、円形のぼやけた土器がいくつかとそれらを記述した古い記録が有ったはずだ、と思いだした。
第二章:郷土史に詳しい老人|或る縄文土器の秘密【怪奇話】
①出会い
稲岡が旧家で土器に触れている頃、梅雨一(つゆはじめ・市役所土木技官・27歳)は、同市内で、自転車を走らせていた。
同市内に住む、同市歴史に詳しい老人に会うためだ。
駅周辺繁華街を抜けて、江戸時代を想像させるような古い商店街を抜けて、やがて街道に出て、街道に沿って並ぶ戸建てや古い中小ビルの合間を自転車で走っていると、街道を横切る大きな川によって、景色は広く開けた。
川にかかる橋をわたりながら、左側を見る。川は、遠く地平線へ向かって延びて、その先に、地平線を覆うように山々が連なる。
あの山々の麓の辺りに、目指している老人の小屋は有る。
橋をわたると、また戸建てや古い中小ビルが、街道の左右に並ぶ。
そんな街道に沿って、さらに自転車を走らせ続けた。
走らせながら、老人との出会いを思い出す。
梅雨一は、同市市役所で、土木技官として勤めている。その傍らで、休日等に、趣味の歴史研究をしていた。
特に、仕事から派生して、郷土史の研究をよくする。例えば、市の建設事業で、現場となる土地とその周辺について調査をすることも有る。調査の中で、土地の歴史を調べることも多い。歴史好きである梅雨は、自身の仕事範疇をはみだす程に、興味を持つことも多々有る。休日等に、その興味を果たす調査をするのだ。
今回の調査のきっかけになったのは、この前の水曜日の仕事。
市道の山裾の地点を訪れた。
そこより先は、折り重なる山々に分け入って、道路の左右には山が迫る。山には、土砂崩れ防止コンクリートが覆っているものの、上方では木々がはみでており、枝々を炎のように四方八方に茂らせている。いつかコンクリートを破壊するような、くすぶる自然の力を感じさせる。
そんな場所にも家は有る。
梅雨たちが作業をしていると、一人の老人が散歩をしていた。70半ばくらいだろうと、梅雨は思った。
老人は、作業服を着ている梅雨に目が止まって、「何の工事か?」と尋ねる。
梅雨は、名刺をわたしつつ作業の内容を説明する。老人は「松下といいます」と言った。
これをきっかけに、梅雨と老人は立ち話になった。
老人は、近くの小屋で一人暮らしであること、あちこちに転々と引っ越しながら暮らしているものの生まれはこの市内だということ、そして、市内の明治時代の歴史に詳しいこともわかった。
梅雨は老人に「歴史の研究をお好きなんですか?」と尋ねた。老人は笑いつつ、「もともと大学で考古学の教授だった」と言った。
梅雨は失礼な質問をしたことを謝った上で、歴史好きの自分は休日に趣味の歴史研究をしていることを伝えて、時間の有る時にでも、この市の歴史話等を聞かせて欲しいことをお願いした。
老人は、快く承諾してくれた。
それで互いに都合のいい今日、梅雨は、老人の家へ向かっているのだ。
②謎の論文?寂しい場所の一軒家
随分と、自転車で街道を走っていた梅雨だが、周囲の住宅も疎らになった。
それから、街道を内に入った。住宅はどんどん疎らになる。
さらに走ると、家自体見なくなって、風にそよぐ木々の音が支配する世界になった。駅周辺では遠くに見えていた山々も、今では、見上げるように迫っている。
そんな、自然の勢力の迫る細い道沿いに、寂しく一軒の小屋が有った。目指していた、老人の小屋だ。
梅雨は、自転車を家の前に停めた。見上げた空は、雨こそは降らないが、灰色の雲が覆っている。
玄関前へと立つと、インターホン等は無いので、大きな声で挨拶をした。
老人は、出てこないものの、返事は有った。「入ってすぐの部屋で待っていてくれ」、と大きな声で言う。
梅雨は、玄関ドアを開ける。小さい玄関から、狭い廊下が真っ直ぐに伸びている。上がってすぐ左手にドアが有る。
この部屋のことだろうと思い、梅雨は上がった。
部屋に入ると、そこは書斎だった。
古い木の机が部屋の奥に有って、部屋中を大きな本棚がぐるりと囲って、古い本がぎっしり並んでいる。
並んでいる本は、さまざま。説話、歴史書、歴史時代を越えて人類登場以前の地質学、古生物に関するもの、また、ニュートン力学や相対性理論や量子力学等といった物理学に関する本も。
古い書籍も多くて、本棚全体で、アンティークの価値すら漂う。
また、本棚の一角に、表紙のしっかりした出版物ではなくて、紙に穴を空けて紐を通しただけの書が並ぶのを見つけた。他の出版物同様、紙が茶けているので、古いものだと分かる。
梅雨はそこに歩いて、書を手に取って中を眺める。印刷物ではなくて、インクで手書きされたものだった。
パラパラめくっていると、同市の歴史の記述を見つけた。それで興味を持ち、パラパラを止めて集中した。
同市の山中で発見された、土器の記述だ。内容は、
・縄文時代中期に作られたもの。
・発見場所周辺に集落跡等は無くて、おそらく儀式等のために、山に持ち込まれたものと推測される。
といったもの。
その記述の後に、土器のスケッチも有った。何と言うのだろう、円形のぼやけたような、奇妙な形をした土器だ。
スケッチの横には、同土器を数学的図形で描いて、輪郭の曲率等数学的説明をしている。
全体として、論文のようにも思った。
梅雨は、スケッチや数学的図形を見つつ、何を表しているのか等想像を巡らす。でも、さっぱりと検討もつかない。
その時、ガチャリと音がして、ドアは開いた。
部屋に近づく気配もない中、いきなり音は響いたので、梅雨はびっくりした。
びっくりした勢いで振り返ると、例の老人が立っている。
「驚かせてすいません」。老人は梅雨と目を合わせながら、一呼吸微笑んで言った。
おぼんを持っていて、そのおぼんの上には湯呑が二つ乗っている。片手でおぼんを支えつつ、老人は電気のスイッチを押した。薄暗い光は、部屋をぼんやり照らす。
「その論文は、私がずっと昔に、作成したものです」。老人は優しく、でも誇らしそうに言う。
③歴史研究?オカルト研究?難しい話
梅雨は一瞬疑問に思った。
見立てでは、老人は70歳半ばぐらいだ。この手書き論文は、パソコンやワープロ等の普及する以前に作られたものだろう。となると、この老人が30代くらいに作ったもの。つまり、今から40年程前に作ったものか?
一方で、見立てでは、この手書き論文はもっと年季のあるものにも思える。
もしかするとこの老人は、70代半ばよりも、もっとお年寄りであるのかもしれないと、梅雨は思った。
梅雨は、書を手に持ちながら、口を開く、「以前お会いした時、元学者とおっしゃっていましたよね。こちらの論文は、あなたの作成なさったものですね?」と。
老人は、梅雨を部屋の中程のテーブルにうながしつつしゃべる、
「ええ。
私は、始めは物理学者だったのですが、その論文の中に有る円形のぼやけた奇妙な縄文土器の存在を知ってからは、すっかり魅了されて、考古学の道へと入りました。
まあお座りください」。
老人は、お茶とせんべいをテーブルに置いて、座る。梅雨は、お礼を言いつつ、向かいに座る。
一口お茶をすすって、老人はしゃべりだした。「歴史の勉強はいいですよね。国のことや地域のこと、人類のこと等、新しい世界を知れます」。
「専門は縄文時代の考古学ですか?」と、梅雨。
「お持ちの論文に有る、円形のぼやけたような奇妙な形をした縄文土器の研究に、特に力を入れました。
それから、新発見の喜びをおさえられないように、次々しゃべり出す。
「結論から言うと、円形のぼやけた土器は、縄文時代の信仰の一つです。
私は、物理学者だった頃に、趣味で、昔話の研究をしていた。
昔話は、文字も無い太古から語り継がれるものでもある。地域の事情や暮らし方の事情等も、ストーリーに反映されている。
或る昔話のこの表現なら、狩猟・採集時代のものであり縄文期から伝わっているのでは?この表現は、温暖な地域で暮らす者の発想では?
そんな取り止めのない想像を、趣味でしていた。
その内に、妙なことに気が付いた。
昔話の中には、いかにもフィクションらしい超常的現象が起こるものだって多い。だが、いくつかの昔話では、超常的現象はフィクションではないかもしれないと思った。
話すと長くなるので省略をする。昔話を、時代背景等を基準に時代順に並べたり、伝播の仕方や速さ等を計算すると、交流の無かった地域どうしで同時に、似た超常的現象を扱った昔話も見られた。
もしその超常現象は実際に起こったものだとしたら、物理的には、どんなエネルギーが働いているのか?
私は、そのエネルギーを、数学的に仮定したり計算したりを重ねた。
すると、或る図形を描くことになった。
その図形とは、あなたのお手になっている論文に有る図形。円形のぼやけたような奇妙な図形なのです。
でも、驚いたのはそれからです。
④リアリティの有る歴史話を楽しむ!難しい話はさておいて
私が図形を導きだしてから、何年か後。
相変わらず、趣味で、昔話や歴史の論文を読んでいた。
そこに、多摩文理大学の考古学研究チームが、〇〇市(梅雨や老人の居る市)の山奥で、奇妙な縄文土器を発見したと書いて有ったのだ。
その土器の写真も掲載されていた。その形は、私の導き出した図形と一致したものだったのだ。
つまり、縄文人の中に、奇妙な円形のぼやけた土器の制作に至った者がいたということなのでしょう。
私は、図形を導きだすために微積分等を用いた。でも、縄文人が現代人の知る数学を知っていたとは考えられない。よって、野生の勘というのか、この宇宙から何かを感じ取ってのことなのだろう。
それから私は、縄文時代の考古学の道に進みました。
次のテーマは、円形のぼやけたような奇妙な形の土器を、私自身で作り出して見ること。
何度も何度も土器を作る内に、徐々にぼやけ具合も上手くなりましたよ。いくつかは、今でも、昔住んでいた家の蔵に有るやもしれませんね。
どれも、失敗ですけどね。」
喜々としゃべる老人だが、梅雨にとっては、何の話しなのかつかめない。ただひたすら、老人のエネルギーに、呆気にとられていた。
老人は、そんな梅雨の表情に気が付いて、話しを中断。「すいませんね。しゃべり過ぎました。この話しになると、ついね」と言う。
梅雨は、「ええ。凄く大変な発見をされたようですね。ただ、僕には難しすぎますね」等当たり障りない返答をした。
老人は微笑んで続ける。
「それでは、江戸時代の終わり頃以降の、この地域の歴史の話でもしましょう。
戊辰戦争の折に官軍からはぐれた一隊がこの付近を通ったとか、天保期において一揆を企てた村が有る等々と、私は色々知っていますからね」。
老人のしゃべり方は、土器を語る時のような激しいものではなくて、穏やかなものになった。
ただ、リアリティは凄まじい。梅雨は、老人の話しに引き込まれていった。何でも知っているようなので、たくさん質問もした。
第三章:大学に所蔵の古い記録
梅雨が老人と歴史談議をしている頃。
多摩文理大学講師稲岡は、自身の研究室デスクに戻っていた。そして、同大学図書館に所蔵されていた、古い書を読んでいた。
また、デスクには、旧家から持ち帰った、円形のぼやけたような奇妙な形の土器も有る。
書の内容と目の前の土器と、関連有るものか見比べつつ、掻い摘んで読み進めている。
書の著者は、多摩文理大学の元教授。名は、時田信一郎。現在は、お亡くなりになっている。
内容は、円形のぼやけたような奇妙な形の土器を研究していた、師匠教授の記録。晩年、人生を振り返って、師匠教授のことがずっと気になったままであったため、この記録を残したようだ。
(以下、かいつまんだ内容を現代語で。)
『〇〇市(稲岡が訪れた旧家が有りまた梅雨と老人が居る)で発見された、円形のぼやけたような奇妙な縄文土器の研究をはじめてから、松下先生の熱意は凄まじく、我々助手たちは、支えることをできなくなる程だった。
明治三十九年七月九日』
『松下先生が円形のぼやけたような奇妙な形の縄文土器の研究をはじめて、二十年程は過ぎた。私は松下先生から独立して教授の地位を得ていたが、交流等有った。
土器について、松下先生は何かを発見したようであって、満足そうだった。
だが、その発見内容のことを、誰にも言わないのだ。私が理由を尋ねると、その存在を理論的に証明しただけであり、実験で実証する必要があると言う。
それなのに、しばらくして松下先生は退職された。70歳と高齢ではあったが、実証した様子は無さそうであり、研究を諦めになったのだろうかと心配になった。
大正十四年九月十八日』
『私は、幸運のおかげで90歳を迎えた。
病床の私は、松下先生のことを考えている。
松下先生は、円形のぼやけたような奇妙な縄文土器の研究の結果を、人に伝えることをおそらくはせずして研究の世界から身を引いた。また、その後の松下先生の行方について、私は知らない。
松下先生が何を発見したのかを知れなかったことは、私の研究者人生の内で、杭の残るものの一つである。だからふと今、松下先生のことや縄文土器研究のことを思い出したのだろう。
最近、松下先生の孫と名乗る70歳程の男が私を見舞いに来られた。私より25歳年上の松下先生の孫であるのなら、年齢は合点がいく。
だが、何年も研究を共にした相手を間違える程、私は鈍感ではない。あれは、松下先生ご本人だった。松下先生は、70歳くらいからお歳を取られていないというのか?
昭和十九年八月十九日』。
この記述を最後に、記録は終わっていた。稲岡は、その古い記録を閉じた。
稲岡としては、土器研究の参考になるかと思ったのに、自伝的な内容も多い上に、トンデモオカルトじみた話しで締めくくられるというものに、多少落胆した。
それでも、松下先生という者が、円形のぼやけたような奇妙な形の土器について何かを知っていることは分かった。
他に、松下先生の論文はないかと、稲岡は腰を上げた。
第四章:或る警察官の深夜の出動|或る縄文土器の秘密【怪奇話】
梅雨も稲岡も就寝中の午前3時頃。
〇〇市内(稲岡の調査した旧家、梅雨の勤める市役所、老人の小屋が有る)の交番に勤務する麦倉行(むぎくらこう・28歳)は、或るアパートへと、同僚とともに自転車で向かっていた。近隣住民から、一室が騒がしいという通報が有ったのだ。
駅前繁華街を横切る大通りに沿ってしばらく進んで、細い路地へと入った。
静かな住宅街に風景は変わる。中層のマンション、古いアパート、戸建て等が、一車線程の夜道に延々と並ぶ。
街灯は点々と照らす程度の暗い道だが、一か所だけ青い灯りにぼんやりと照らされて、目立っている。
麦倉と同僚は、青い灯りのもとに到着。中層マンションの2F一室から青い灯りは漏れて、夜道を照らしていた。
ここだ。
二人は自転車を停めて、その部屋へとアパート玄関をくぐって、階段を上る。
部屋の前に立つと、中でドタバタしていることが、音でわかる。玄関の外に立つ麦倉にも、すぐにわかる程だ。
麦倉は、インターホンを押した。
中から返事がある。ただし、すぐに出て来ない。
麦倉はふと、振り返る。駅周辺に有る高層ビルたちは、遠く夜空で地平線を隠すようにそびえて、屋上警戒灯をゆっくりと点滅させている。眺めているとどこか遠くで、車のエンジン音や機械音等がこだまする。基本的には静かな夜中の風景だ。
しばらくするとドタバタは止んで、玄関へ向かってくる足音がして、ドアが開いた。
真っ赤なタンクトップを着た、はつらつとした40歳程の女が出てきた。手にはタオルを握って、多少息も上がっている。
麦倉は、ドタバタする音が外まで音がもれて来ていることを伝えた。
すると、女は言う、「ごめんね。今日は、ちょっとうるさかったよね。警察にクレームでも有った?解ってるんだけど、重要な儀式の日なんだよね」と。
肩にかかる程度に伸ばした黒く太い髪を、整えながらしゃべる。
「重要な日ならね、クレームに繋がるかもしれないことは、しない方がいいですよ」。麦倉は応えた。
「そうね。まあ儀式はさっき終わったからいいの」、そう言って女は微笑む。女の目線は、麦倉の目から、麦倉の鍛えられた胸筋をチラ見する。
「じゃあ、もう騒がないんですね。約束ですよ」と言う麦倉に、女は「ええ」と適当に応える。
それにしても。
麦倉は、この女の頭越しに、天井あちこち、絵がつるしてあることに気が付いた。奇妙な絵で、円形のぼやけたような形が描かれている。儀式の話しと合わせて、普通の部屋ではないと感じた。
麦倉は絵を見ながら、「あの絵は何ですか?それと、さっきから言っている儀式って?」と尋ねた。
「この前旅行で小笠原諸島に行ったんだけど、好奇心でさらに南に或る公海上の無人島に漁船で連れていってもらったんだ。
そしたら、そこで原始人みたいな男が踊っていてさ。はじめは不気味だったし、漁船の船長さんも知らない人だって言っていたけど、何だろう、見ているとパワーを感じたのよね。
思い切って話しかけてみると、自分で作った木の船で、自由に小笠原諸島や沖縄やさらに東南アジア辺りを、漂流して暮らしているんだって。原始人の生き残りみたいでしょ。
男は、首から土器を下げていたんだけどね、あの絵のような形をした。それを見ているとね、パワーをもらったような気になったのよ。
旅行から帰って、男の下げていた土器を絵にしたり同じ踊りを踊ったりしているのよ。そしたらね、日に日にパワーが出てくるようでさ。
ちなみに、今日は結婚記念日ね。旦那は単身赴任中だけど。それで旦那のパワーのためにも踊っていたってわけ」。
「はあ…」。麦倉は適当に返事をした。絵に気づいてから、麦倉の意識は、女よりも絵に引き込まれていた。
見る程に、疲れはみるみる飛ぶようだ。いや、それどころではない。中学時代にでも戻ったように、軽い身体になったようにも感じる。
以上「或る縄文土器の秘密【怪奇話】」。
関連話は「原始人?或る無人島で【怪奇話】」へ。
※本小説はフィクションであって、実際にある土地名や団体等とは一切関係ありません。
※本ブログの記事は全て著作権によって保護されておりますことへのご理解をお願い申し上げます。

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