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日本国の原型?古墳時代を眺める1【歴史に怪奇&ロマン】

今回は、遺跡探訪等のきっかけになればと、古墳時代をざっくりと眺めます



前回「米農業で社会は大変遷?弥生時代1【歴史に怪奇&ロマン】」では、大規模農業を一因に、むらとむらが統合してくにとなっていく様子を見ました。

(強引に現代に例えて、複数町内会がまとまって市町村に、複数の市町村がまとまって都道府県になったイメージ。)


今回はその続き。

市町村や都道府県程の小国がまとまって、日本列島広域に及ぶ国の出来上がる様子を、時代の順に眺めます。


原始日本国誕生?とされる時代でもありますね。「太古のロマン」として語られる人気の時代でもあって、歴史番組や小説等でもよく取り上げられます。


本記事が、そうした書籍に触れるきっかけになればとも思います。



第一章では、古墳時代の定説は覆ることや歴史勉強においての注意点等を見ます。

第二章から古墳時代の流れです。日本国の原型か?またその王の正体は?古墳時代出現期・前期を眺めます。

(以下、続きの他記事です。)

第三章では、日本列島広域政権の躍進か?日本史上最大級の古墳が出現した、古墳時代中期を眺めます。

第四章では、古墳の有り方が変わった?小さくなったり形が変わったりの古墳時代後期~終末期の古墳の特徴を眺めます。

第五章では、日本列島広域統治について、ヤマト政権の統治制度を眺めます。

第六章では、大伴氏・物部氏・蘇我氏等による、熾烈なヤマト政権内部抗争を眺めます。


分量は、各章文庫本換算5~10P程です。(他記事は「本blog全記事の一覧」へ。)





(※ご注意ください。

以下内容は、古墳時代や米農業以外にも当てはまる場合もあります。

以下内容では、規模や階層等の例えに、町内会・市町村・都道府県・国・中小企業社長・従業・給料等のことばを用います。ただし、現代のそれらとは関係ありません。また、古墳時代当時、そのようなことばは使われておりません。

本記事は、歴史の流れを眺めるものです。政治思想や国家観といった思想を示すものではありません。

本記事タイトルに「ロマン」と有りますが、本記事筆者は戦争に対してロマンを抱いているものではありません。)


第一章:古墳時代の定説は覆る


古墳時代の流れを見ていく前に、この見出しでは、歴史教科書等で見られるような古墳時代の一般説は、どのようにしてでき上がったのかを見ていきます。

古墳時代は史料が少なくて、今後も一般説は変わる可能性が有ります(歴史全般に言えます)。一般説がどのようにしてでき上がったのかを知ることで、一般説の正確性やら危うさの判断材料にもなるし、さらに古墳時代の醍醐味の一つ「自分で推理する」ことにもつながります。


①事務史料や文字資料に乏しい古墳時代|第一章:古墳時代の定説は覆る


考古学や歴史学の調査は、あらゆる分野の専門的調査を、総合して行われます。

例えば、

・物理学的な技術を用いた調査
・当時使用されていたものの現在は埋まってしまっているものを掘り起こす等の調査
・当時の事務書類を読み解く調査
・当時制作された文字文学の読解や口承文学の分析
・発掘物の種類や発掘件数等からの統計的調査

等々。


以上以外にもさまざま有るし、今後も調査方法は増えたり精度アップすると思われます。



古墳時代(西暦換算200年代半ば~600年代半ば程)の調査は、上で言うなら、物理学的技術を用いた年代測定、発掘調査、歴史書(中国の歴史書や日本書紀等)読解、発掘されたものの種類や件数等の統計調査やそれによる人口予測や経済状況の予測などなどが用いられています。

ただし、古墳時代の調査では、古墳時代当時の事務書類等はほとんど見つかっていないです。

事務所類を用いる調査は、重要です。もし、古墳時代当時の、納税に関する事務書類が見つかったとします。「○○地域から△△地域へ納税致しました。それを△△王誰々様はお受けなさった」等の。

すると、どの地域からどの地域に税が納められたのかを把握できる上に、税を納められている地域こそ権力の中心地の可能性が高いと言えます。

さらに、違う地域からも△△地域へ納税していたという事務所類が見つかったり、△△地域から遠く離れた地域からも納税されている事務所類が見つかれば、△△の王は広範に及ぶ権力を有しているとわかります。

さらに、権力者の名も知れるのです。

古墳時代の史料には事務書類が乏しいため、当時の権力の中心地や権力者の名もわからない場合が多いです。



では、古墳時代の史料の内で、事務所類以外のものは?

物的史料の比率は高いでが、その中でも有名なのは、その時代名にもなっている古墳でしょう。

古墳を調査すると、さまざまなことがわかります。その中でも、権力についてクローズアップしてみます。

古墳時代には、大小さまざまな古墳が、日本列島あちこちで作られています。

最も巨大なものは、近畿地方に集中しています。

また、数は大きなもの程少ないです。

さらに、日本列島広範囲のあちこちの古墳は、ぞれぞれ自由な形式で造営されたのではなくて、共通のルールのもとに作られた形跡もあります。

このことから、日本列島の広範囲で古墳造営のルールを共有するつながりが有ったこと、そのつながりは平等なものではなくて大きさの差等から近畿地方の古墳が上位であったと思われること、大きなもの程数が少ないため上の者程少ないと思われること等です。

また、物理学を用いた年代測定も可能であり、古墳の造営された年代を知ることができます。



ただ、繰り返しになりますが、古墳時代当時の事務史料が乏しいため、古墳の主の名も、正確には分からないともされます。



でも。

古墳時代(西暦換算で250年辺り~600年半ば辺り)の権力者の名はわかっていない、と上に書きましたけど、歴史教科書等で、西暦換算250年より前~600年代以降の権力者の系図も掲載されています。

じゃあ、古墳時代の権力者の名は、しっかりと判明しているじゃん?

でも、ここには注意が必要なのです。


②歴史書をどう捉える?|第一章:古墳時代の定説は覆る


これら権力者の系図は、中国の歴史書や日本書記を基にして作られたものも多いのです。



日本書記とは、西暦換算700年代に作られた歴史書であり、それまでの時代を振り返って「何天皇の時代にどんなことがあった」と年代順に記されているのです。

この記述等から、権力者の系図とするのです。



ただし、日本書紀等歴史書を史料とする場合には、注意が必要です。

まず、古墳時代は西暦換算で200年代半ば~600年代半ばなので、西暦換算700年代に作られた日本書記は、古墳時代当時の史料ではないのです。

それと、歴史書を史料として採用することは、事務書類等を史料として採用するよりも注意が必要な場合があります。

当時の事務書類は当時の行政や日々の業務のため等に必要なものであって、何か特殊な企み等を除いて、基本的に改ざんをする意味は無いはずです。また、誇張表現等も無いはずです。よって、事務所類の内容は、真実の場合も多いのです(もちろんさまざまに裏付け調査は必要)。

一方で、歴史書は、歴史書制作当時の権力者の都合の良いように描く場合だって多いのです。


その表れの一つではないかともされる、日本書記と他の史料の食い違い例も有ります。

日本列島で発見された最古級の文字史料は、西暦換算で400年代半ばに作られたものです。その文字史料には西暦換算400年代半ばの日本列島の広域権力者は、「大王」と呼ばれていたと読み取れるのです。

でも、日本書記によると、西暦換算400年代半ばの日本列島広域権力者は、「天皇」と呼ばれています。

また、現在のところ、日本書記以外の史料で「天皇」と表記のある史料は、最古のものでは、西暦換算600年代のものです。

果たして、「天皇」という表記は、西暦換算でいつから用いられていたのか?以上史料のみでは、判断はできないでしょう。

以上以外のさまざま史料を総合して、さまざま説は有ります。その中に「天皇」という表記の用いられていない時代のことも、日本書紀は「天皇」と表記したという説があります。

その理念は、日本書記の作られた西暦換算700年代は律令という体制が整ったとされる時代であって、西暦換算700年代の天皇やその取り巻きである朝廷は、「昔からずっと、日本列島は天皇が統治していた」と言いたいために、天皇と言う表記のまだ無かった古い時代についての記述でも「天皇」と表記したという説です。


(もちろん、今後の発掘調査で西暦換算200年代に作成された事務書類が発見されて、そこに「天皇」と記されているなんてことも有るかもしれません。)



一方で日本書記には、改ざんするならもっと行っているはずと思える箇所も多々有る等、史実も記述されているとされます。

また、歴史書は権力者の都合で修正されるのなら、どのような修正を施される可能性が有るのか推理することで、修正された分を考慮して実態把握できるという研究等も有ります。

歴史書は、史料として価値無しとは言えません。また、中国の歴史書等外国の歴史書も用いられます。


③総合判断が必要|第一章:古墳時代の定説は覆る


結局のところ、古墳時代の調査にせよどの時代の調査にせよ、あらゆる史料を総合することが重要です。

歴史書のみ見ていると歴史書の内容こそが歴史の真実に見えてきますし、物的史料のみだと人の営みの具体的な内容が見えてこないなどなど。

また、以前は、口承文学は時代によって内容が変わるので歴史研究に用いることはできないとされていたが、現在では調査方法の発達等から、文字の無かったさらに古い時代のことを探る史料としての価値も見出されています。

今後の各調査や新調査方法の確立等にも、注目してください。



では、いよいよ古墳時代の流れに入っていきます。


第二章:古墳時代出現期・前期


古墳時代は、西暦換算で200年代半ば~600年代半ば程にあたります。基本的には巨大前方後円墳の出現をもって、古墳時代ははじまります。


①弥生時代と古墳時代の違いの一つ|第二章:古墳時代出現期・前期


古墳時代の一つ前である弥生時代(西暦換算で紀元前1000年辺り~200年代半ば)にも、時代の新しくなる程に大きな墓は作られていましたけど、古墳時代には属しません。



米農業で社会は大変遷?弥生時代1【歴史に怪奇&ロマン】」で、弥生時代に大規模農業をはじめたことをきっかけに、集落は統合をして大きな集団になる様子を見てきました。

強引に現代で例えるなら、町内会にはじまった集落は、集落どうしの吸収合併や連合等で、市町村、都道府県と統合して大きな集団になっていきます。

古墳等物的史料は、物理学的年代測定等によって造られた年代を知れますが、弥生時代の権力者の納められているとされる大きな墓は、時代の新しくなる程に、より大きくなっているのはわかります。

おそらく、時代の新しくなる程に集団は統合して大きくなったために、墓を造るために動員できる人員が増えたことで、墓は巨大化したとも考えられます。



その後、段違いに大きな前方後円墳は登場します。

巨大前方後円墳の登場の辺りで弥生時代を区切って、古墳時代に突入します。

巨大前方後円墳の登場やそれに関連するいろいろなことは、日本列島が広域にまとまり出したことを意味するとされます。

まず、巨大前方後円墳を造営するには、たくさんの人手が必要になる可能性もあります。従来の弥生時代の大きな墓の造営よりも、より広範囲に人手を集めていた可能性も有ります。

また、巨大前方後円墳の出現した年代ぐらいから、同年代の日本列島の広域に多数ある巨大前方後円墳よりは小さい大小さまざまな古墳や墓の形状や納められている副葬品等に規則性等を見出せるようになります(弥生時代の大きな墓では地域によって形式はバラバラ)。

このことから、巨大前方後円墳の主と巨大前方後円墳よりは小さい同年代の日本列島の広域に有る大小さまざまな古墳や墓の主との間には、規則を共有する関係が有ると考えられます。つまり、日本列島の広域で、つながりができたのです。

さらに、古墳や墓に大小差が有ることで、上下関係も考察されます。

つまり、巨大前方後円墳の主をトップに、大きな墓の主がそれに従い、さらに小さな墓の主がその下に従うという、何段もの階層的支配体制が日本列島広域で起こった可能性も有るのです。

日本列島広域に、そのような支配体制が出来たことは、日本国の原型の登場を意味するかもしれません。

巨大前方後円墳の登場によって弥生時代を区切って古墳時代とすることには、日本列島は広域に跨って統一されつつあることも意味するのです。

また、この日本列島広域を統一する政権をヤマト政権と言い、トップを大王(後の天皇)とします。



ただし、統一といっても、トップに強い権限の有る等「強い統一」ではないとする説も多々あります。

古墳時代の次の飛鳥時代の政治行政の様子、古墳時代の古墳の状況、前回「米農業で社会は大変遷?弥生時代2【歴史に怪奇&ロマン】」で卑弥呼は日本列島内の国々の寄り集まって共立された等の記述からすると、古墳時代ヤマト政権は、日本列島内の国々の寄り集まっていた状態とする説も多いです。



(以上は、反対説も有ります。あくまで、一般説です。また、古墳時代も数百年間有り長いため、統一の状況は変遷します。)


②古墳時代出現期・前期の流れ|第二章:古墳時代出現期・前期


最古級の巨大前方後円墳は、西暦換算で200年代半ば(前半とする説もある)のもので、場所は現在の北九州地域・奈良県・京都府・静岡県です。

ただし以上の地域で、特にどこがさきがけなのか等は現在のところ不明です。

西暦200年代半ば~600年代半ば年辺りの古墳時代ですが、巨大な前方後円墳の出現した西暦200年代半ば辺り~400年辺りまでを、古墳時代出現期・前期と区分します。



次に、ほんの少し時代の新しい或いはほとんど同年代の西暦200年代半ば~後半に、段違いに巨大な前方後円墳が、現在の奈良県に造られます。

箸墓古墳(はしはかこふん)です。墳丘長は、278mに達します(それまでの前方後円墳は大きくて120m程)。



その後、古墳時代出現期・前期の巨大前方後円墳の造営は、奈良県に多く見られます。このことから、日本列島広域支配者のトップは、奈良県に居続けた可能性も有ります。



ただし、近畿地方以外にも、有名な巨大前方後円墳は有って、次のものです。

・西暦300年代後半に造られた山梨県の甲斐銚子塚古墳(かいちょうしづかこふん・墳丘長169m)。

・西暦400年代に造られた岡山県の神宮寺山古墳(墳丘長は約150m)。

・同じく西暦400年代に造られた広島県なる三ツ城古墳(みつじょうこふん・墳丘長は)。


これら巨大前方後円墳は、同時代の奈良県の巨大前方後円墳に大きさで及ばないものの、十分に「巨大」前方後円墳と呼べる規模です。

おそらく、地方有力者(奈良県を中央として)であったと思われます。ただし、奈良県の巨大前方後円墳と形等形式を同じくしている以上は敵どうしではないでしょうし、大小関係等からすると奈良県の巨大前方後円墳に納められる者の方が、序列は上だったとも思われます。



果たして、もっと具体的には、どのような関係だったのでしょう?

地方の巨大前方後円墳に納められた者は、その地方一帯で強い支配権を持っていて特定の場合にのみ奈良県の王に協力していたのみかもしれません。

或いは、奈良県の王と深い関係に有ったため巨大前方後円墳の造営が許されているのであって、権力は奈良県の王の出先機関として命令どうりに動いていたのみかもしれません。

その辺りは、当時の事務史料は残っていない等、わかりません。



いずれにせよ、西暦300年代後半辺りには山梨~奈良~広島に跨る広域政権だったのだろうことは、想像されます。

また、一般説では、巨大前方後円墳の主をトップとする日本列島の広域に及ぶ政権を、ヤマト政権と呼んでそのトップは大王であり後の天皇につながるとされます(反対する意見も有ります)。



(西暦200年代前半に登場した前方後円墳が、西暦300年代後半やその後も造営されていることは、支配者の系譜は受け継がれた、つまり王統の継承が成されたとも言えます。新王統樹立なら、古墳の形を受け継ぐということはしないとも推察されます。

さらに、西暦600年辺りに巨大前方後円墳は造営されなくなるものの、それは王統が滅んだのではなくて、古墳というスタイルが時代にそぐわなくなったことや仏教伝来等影響していると一般説では言われます。

そして、西暦700年代に、天皇をトップとする大和朝廷は日本列島の統治組織を盤石にするに至ります。

天皇をトップとする大和朝廷まで、巨大前方後円墳に納められている王の系統は滅んでいないとするなら、巨大前方後円墳の主というのは、天皇や大和朝廷につながる存在にしてその起源或いは起源に近い存在という可能性も有ります。

その後、大和朝廷は権力をふるう時代もあれば権威のみの存在の時代もありつつ、常に日本史に存在し続けて後に、現在でも大和朝廷トップである天皇は存在し続けています。



とは言え、巨大前方後円墳の主と後の大和朝廷との関係等は、まだまだ謎に包まれています。

また、古墳を造らなくなった理由について、王統の変遷だとする説もあります。また、後の史料の多い時代からの推測ですが、新王統を樹立するよりも先の王統を受け継ぐ者として振る舞う方が良い場合もあって、事実上の新王統だったとする説もあります。)



以上、古墳時代出現期・前期の流れを見てきました。

次に、古墳時代出現期・前期を代表する古墳の一つ、箸墓古墳を、クローズアップしていきます。

どの古墳も重要なのですが、箸墓古墳は教科書等でもクローズアップされる重要な古墳なのです。

納められる王は誰なのか?その歴史上の意義は何か?後の時代への影響は?等を見ていきます。


③箸墓古墳の規模と年代|第二章:古墳時代出現期・前期の流れ


上でも見たことと重複しますが、箸墓古墳の大きな特徴は、出現のタイミング・古さ・規模等にあります。

箸墓古墳よりもほんの少し前もしくはほとんど同年代(西暦200年代前半~半ば)に造られた巨大前方後円墳たちは、大きなものであっても古墳長は100m台です。一方、箸墓古墳(西暦200年代半ば~後半)は、古墳長278mであり、段違いに巨大なのです。

また、箸墓古墳こそが最古の前方後円墳とは言えなくても、十分に古いです。


以上のことからも、箸墓古墳に納められる王に非常に大きな意義が見えてきます。それは次。


・箸墓古墳の大きさからして、箸墓古墳に納められる王は日本列島広域支配と何か関係有り。

・箸墓古墳の造営年代の古さからすると、日本列島の広域支配のはじまりもしくははじまり辺りの年代と思われる。


④箸墓古墳と卑弥呼|第二章:古墳時代出現期・前期の流れ


そして箸墓古墳に納められる王とは具体的に誰なのか?さまざま説があります。



その一つが、中国歴史書の記述等に基づく説です。

中国王朝の歴史書の一つには、箸墓古墳の造営された年代(西暦200年代半ば~後半)辺りの日本列島についても記されています。「西暦100年代後半や200年代前半の日本列島で、卑弥呼率いる邪馬台国は日本列島の広域を治めていた」といった内容のものがあるのです。

また、中国歴史書の一つには、「卑弥呼は西暦249年に死去した」ともあります。さまざまな記述や天文学の計算等も合わせると、卑弥呼は西暦248年辺りに死去したともされます。

上にも書いたように、古墳の造営された年代は、物理学的測定でおおむね算出できます。

すると、箸墓古墳の造られたのは西暦250年辺りであり、卑弥呼の死去したと記述される年代とも一致するのです。

これらによって、箸墓古墳に納められる王は、西暦200年代前半から半ばに日本列島広域を治めた卑弥呼であるという説は、近年強まっています。



(江戸時代にも、歴史書等研究等から、箸墓古墳に納められている王は卑弥呼であるという説は有りました。

一方、箸墓古墳の主は、卑弥呼の後継者という説も根強いです。また、卑弥呼は、箸墓古墳よりももっと古い北九州地域の前方後円墳の一つに納められているとする説だって、あります。)


⑤箸墓古墳の被葬者は卑弥呼以外にもさまざま説|第二章:古墳時代出現期・前期の流れ


日本でも西暦700年代に歴史書は作られました。そう、日本書記です。

日本書記は、西暦700年代あたりからそれまでの時代を振り返って、天皇家の歴史を、「何天皇の時代にどんなことあった」等の形式で記しているのです。

その日本書記に、西暦250年辺りのこと、それ以前のこと、箸墓古墳に納められる者について記されているのです。



日本書記によると、まず卑弥呼という人物は登場しません。

また箸墓古墳に納められる者を、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)と記述しています。

倭迹迹日百襲姫命は、孝霊天皇(こうれいてんのう)の皇女(天皇の娘)であり、大物主神(おおものぬしのかみ)という有力な神と結婚をしたとも、日本書記には記されています。

卑弥呼について中国歴史書の一つには、「卑弥呼は呪術によって人々をまとめていた」と記されております。

中国歴史書にある「呪術」を神事と解釈し、卑弥呼は神事に携わる女性であるとする説は古来よりありますが、倭迹迹日百襲姫命もまた、大物主神との婚姻等神秘的な女性だと解釈し、神事との共通点により倭迹迹日百襲姫命と卑弥呼は同一人物であるとする説だってあります。



(古墳時代より後の史料の増える時代の日本史の研究等で、偉い人にはいくつもの名が有ることが分かっています。遡って古墳時代にも偉い人にいくつもの名が有った可能性は有り、古墳時代辺りについて記した中国の歴史書と日本の歴史書で権力者の名の違うのも、不思議ではないのです。)



そのほか、日本書記の西暦200年代前半~半ば辺りには、神功皇后(じんぐうこうごう)という武勇優れた皇后がおり、卑弥呼=神功皇后であるとする説もあります。



それ以外にも、卑弥呼とは何者であったかについての説はたくさん有ります。是非多数の書籍に触れてみてください。



この後。

西暦300年代後半辺りから、巨大前方後円墳は、現在の奈良県ではなくて、大阪府に造営されるようになります。

このことから、ヤマト政権の中心地は、奈良から大阪に変わったと考えられています。

この辺りで古墳時代出現期・前期を区切って、中期へと突入です(西暦300年代後半~500年代はじめ辺りまで)。


次回「日本国の原型?古墳時代を眺める2【歴史に怪奇&ロマン】」では、日本列島広域政権の躍進か?日本史上最大級の古墳が出現した古墳時代中期、古墳の有り方が変わった?小さくなったり形が変わったりの古墳時代後期~終末期、ヤマト政権の統治制度、大伴氏・物部氏・蘇我氏等による熾烈なるヤマト政権内部抗争を眺めます。


以上「日本国の原型?古墳時代を眺める1【歴史に怪奇&ロマン】」。続きは「日本国の原型?古墳時代を眺める2【歴史に怪奇&ロマン】」へ。



※本記事は科学記事・学術記事ではありません。

※本記事は、本記事作成時の情報を本記事作成者の裁量で用いて作成しており、正確性の保証は有りません。また、最新情報は変化している可能性も有ります。

※本ブログの記事は全て、著作権によって保護されておりますことへ、ご理解のお願いを申し上げます。


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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

米農業で社会は大変遷?弥生時代1【歴史に怪奇&ロマン】

今回は、遺跡探訪等のきっかけになればと弥生時代をざっくりと眺めます



弥生時代は、日本史特有の時代区分だと、縄文時代に次ぐ古い時代。現在から約3000年前にはじまって、現在から約1700年前まで続きます。

特徴として、日本史上初めて大規模米農業が広まった時代とされ、弥生時代以降現在に至るまで、全ての時代で大規模米農業を行っています。

この大規模米農業をきっかけの一つとして、現代社会では当たり前の、職業に分かれることや市町村都道府県国といった広域行政の為されることも、はじまったとされます(逆に言えば弥生時代の前の縄文時代には職業や広域行政等は無かったとされます)。

弥生時代は、日本史において、大規模文明の幕開け時代ですね。



そして、その延長線上に、現代社会の到来となります。あくまで一説ですが、弥生時代に文明の幕開けが無かったなら、理科学の発展も資本主義経済もその他現代社会では当たり前の社会的物事さまざまは無かったとされます。一方で、弥生時代の文明幕開けが無かったら、鬱等の精神的不調も無かったとされます。



本記事では、社会大転換を中心に、見ていきます。現代を生きやすくするヒントになるかもしれませんし、そんな堅苦しいものはさておいて、太古の昔に思いを馳せるロマンや怪奇で、良い気分転換になるかもしれませんよ。それに、弥生時代を扱った歴史番組やSF等も多数有りますから、本記事がそうしたものに触れるきっかけになればとも思います。


第一章では、なぜ米は主な農産物に選ばれたか?その凄まじいパワーを見ます。

第二章では、大規模米農業のもたらしたものの一つとされる、人口増加を見ます。

第三章では、世界的に、なぜ大規模農業が広まると大規模戦争は勃発するか見ます。

第四章では、大規模農業等をきっかけに、集落が統合する様子を見ます。

第五章では、大規模農業等をきっかけに、職業分化や身分差の生じる様子を見ます。

(以下、続きの他記事です。)

第六章では、集落統合の後に日本国誕生?の様子や卑弥呼について見ます。


各章の分量はそれぞれ、文庫本換算5P程です。他記事は「本blog全記事の一覧」へ。





(※ご注意ください。

以下内容は、弥生時代や米農業以外にも当てはまる場合もあります。

以下内容では、規模や階層等の例えに、町内会・市町村・都道府県・国・中小企業社長・従業員・給料等のことばを用います。ただし、現代のそれらとは関係ありません。また、弥生時代当時、そのようなことばは使われておりません。

本記事は、歴史の流れを眺めるものです。政治思想や国家観といった思想を示すものではありません。

本記事タイトルに「ロマン」と有りますが、本記事筆者は戦争に対してロマンを抱いているものではありません。)


第一章:なぜ米は主な農業生産物に選ばれたか?


米は、世界的に見て主だった農産物の一つです。


主食とは、人々が日常的(にちじょうてき)にもっとも多く利用する食べ物のことです。
一般(いっぱん)には、穀物(こくもつ)とイモ類が代表的です。
世界の年間生産量の多い順に、トウモロコシ(10.3億トン)、小麦(7.4億トン)、米(4.8億トン)、ジャガイモ(3.8億トン)。
このほかにもキャッサバ、大豆、サツマイモなどがあります。

出展:農林水産省|世界各国の主食は何ですか。




では、なぜ米は農産物に選ばれたか?

結論として、次の理由等が挙げられます。

・生存に必要な栄養を備えている。
・大量増産可能
・長期保存可能
等。


農業とは、「人の食糧を、自然に有る以上に大量増産すること」でもあります。以上のような特徴は、人にとって利益の大きなものとなります。


(麦等にも当てはまりますが、今回は米に限定して見ていきます。また、日本以外にも当てはまりますが、弥生時代の歴史を眺めつつ見ていきます。)


以下、詳細を見ていきます。


①米は人の生存に必要な栄養を備えている|第一章:なぜ米は主な農業生産物に選ばれたか?


米は人の生存に必要な栄養を備えています。具体的には、タンパク質・脂質・糖質等。

ざっくり言うと、人の身体は(人以外の生物でも当てはまる場合は多い)、タンパク質・脂質・糖質等を代表に形成されています。さらに、それら栄養成分を、人は自力で作りだすことはできません。よって、食べ物として摂取しないといけないのです。

上にも書いたように、米はそれら栄養素を満たしています。ざっくりと言えば、人は米だけを食べていても、生存できるということです。


(米のみ食べて生きていくことをおすすめしているわけではありません。

米は、タンパク質・脂質・糖質の比率で、糖質の比率が、現代生活だと過剰摂取となる場合も多いです。

また、肉や魚に比べてタンパク質のスコアは低いという問題や野菜による老廃物排出も重要だったり。

バランス良い食事が必要ということですかね?)


②米は大量増産可能|第一章:なぜ米は主な農業生産物に選ばれたか?


さらに米が凄いのは、一粒植えれば、何倍もの数の実を付けて成長してくれることです。つまり、大量増産をできるということです。


(参考までに、現代の米農業では、縦横10m程の田んぼで50~60㎏の米を収穫できるそうです。)


結果的に見ると人類は、一人の人間が可能な限り米を植えれば、一年間では一人で食べきれない程の米を収穫することに成功しています。



これら食べきれない米は貯蓄をされていくため、その貯蓄量を増やし続けることも可能です


(あくまで歴史を眺めた結果です。米農業の成功率は100%ではありません。さらに、農作業は楽ではありません。計算通りに収穫できるとは限りません。)


③米は長期保存可能|第一章:なぜ米は主な農業生産物に選ばれたか?


大量生産して余った米は、長期間の保存をできます。よって米は、貯蓄にも向いています。


④日本の気候に適している等日本における諸事情|第一章:なぜ米は主な農業生産物に選ばれたか?


日本の気候に米が適していることも、日本で米が主だった農産物に選ばれた理由になります。



また、日本に上陸した米は、現在の米のDND型鑑定等から、中国大陸原産とする説もあります。

こうした、日本列島の近隣諸国との関係も、縄文時代の終わりもしくはそれ以前や弥生時代の日本列島に米が主な農産物に選ばれた理由の一つでもあるでしょう。


⑤食糧に困らない時代の到来?|第一章:なぜ米は主な農業生産物に選ばれたか?


以上、さまざま歴史記事の背景知識として、なぜ米は日本で主だった農産物に選ばれたか?について見てきました。

ざっくりと見ると、次のもの。

・生存に必要な栄養を備えている
・大量増産可能
・長期保存可能
・日本の気候に合っている

等。結果、米の貯蓄量は増え続けます。


命の源となる食糧を人の手で生産しつつも、失敗すること等もあって人の手だけでどうにかなると強気にもなれない。

昔話等説話では、米は尊いものであり、神の力を必要とするものでもあり、さまざまに描かれています。注目をしてみてください。



それから、本記事の内容だと、米農業の広まりとともに、餓死のない食糧に満ちた世になったと言えそうです。

でも、実際はそうではありません。次で見ていきます。


第二章:大規模米農業から人口増加?


大規模米農業の広まることによる人口増加を、弥生時代を眺めつつ見ていきます。



※本記事はあくまで、歴史の流れを述べるものです。本記事作者には、人口増加とそれによる問題を引き起こした文明社会を否定する等といった思想はありません。逆に開発至上主義者でもありません。


①狩猟採集社会では人口増加しない?|第二章:大規模米農業から人口増加?


農業を行う以前の時代、つまり狩猟・採集の時代は、食糧貯蓄はほとんどあり得なかったとされます。経済学や現代に生きる狩猟採集民の生活等から言われています。

確かに、狩猟・採集生活も、食糧貯蓄を得られることも有ります。例えば、季節によって海が真っ黒になるほど魚が到来することも有って、たくさん得て、塩漬け等保存すれば食糧貯蓄になります。

でも、そんな季節はいつまでも続きません。魚の獲れない時期には保存した魚を食べて、食糧貯蓄の量はそんなに多く残りません。



一方、米農業はどうでしょう?


②米農業と食糧備蓄と人口増加|第二章:大規模米農業から人口増加?


上で、米の特徴のいくつかを見てきました。

ざっくりとは、大量増産と貯蓄が可能・人が生きていくのに必要な栄養を満たしている等。また、一人で植えられるだけ植えると一人で食べきれない量を収穫できます。


(米だけ食べていきていくことをおすすめしているわけではありません。

米農業には大規模土木工事が必要等、一人ではできません。結果的な量の問題です。)


米農業の広がりとともに、米の貯蓄量は増えていきます。

狩猟・採集社会ではあり得なかった、食糧の大規模貯蓄時代の到来です。上に、狩猟・採集社会でも食糧貯蓄はあり得るとも書きましたが、大規模米農業開始後の米の貯蓄量とは比較になりません。



結果として、農業開始後の社会では、食糧は安定しやすくなります。

狩猟・採集の成功率は、100%ではありません。何も得られない日に、食糧貯蓄がないなら、空腹に耐えないといけません。そんな日が続くと、栄養失調や餓死にもつながります。

また、地球環境だって変動しており、魚が前年ほどに獲れないということもあります。木の実の実らない年も多々あります。その時、貯蓄のない狩猟・採集生活だと、餓死や栄養失調に直結します。


(もちろん、米農業だって、常に成功するわけではありません。あくまでも狩猟・採集社会との比較した場合に、より安定しているということです。)



そんなこんなで、米農業を行う社会は、狩猟・採集社会に比べて、

・平均寿命が長くなる、

・乳幼児死亡率の低下、

・生存に必要な栄養を満たせる人の数が増加、

等につながります。



それらを一因に、人口増加につながります。


(あくまで歴史的な結果論です。

米の栄養に偏って肉や魚等の栄養を摂取しなくなったことや農業を一因とする戦争の勃発も有ったとされます。

一説に、それら結果、局所的には平均寿命の低下につながったともされます。)



大規模米農業をはじめた弥生時代以降、人口は増加を続けます。


(下で見ていきますが、米農業を始めたことで職業も発生していきます。それらも一因に、各分野の技術革新も成されます。それによって農業技術の進歩にもつながって、人口の増加のスピードもアップする場合もあります。)


狩猟・採集社会の縄文時代日本列島の人口は、30万人に届かない程だったとされます。

弥生時代の終わり頃の日本列島の人口は、60万人を越えたとされます。

さらに、弥生時代の終わりから約500年後の平安時代に、500万人を越えたとされます。

その後も、人口は増え続けます。



農業生産量が増えたから人口は増加をしたわけですが、人口が増加するということは、一人当たりの食糧量は増えにくいのです。食糧の心配のない世界の到来とは言えないのです。

また、農業に失敗することや農業に適した地をめぐっての争いにつながる恐れも有るのです。

大規模農業を一因に、狩猟・採集社会にはあり得なかった、大規模戦争の勃発することについて、次の見出しで見ていきます。


(以上の内容は、歴史の流れを眺めるものです。狩猟・採集社会や農業開始後の社会を、特別に称賛する目的も特別に批判する目的もありません。)


第三章:なぜ弥生時代以降戦争は勃発するか?


弥生時代以降に、大規模戦争の勃発する理由の一説を見ていきます。



※本記事はあくまで、歴史の流れを述べるものです。本記事作者には、戦争の一因となった農業を否定する等の思想はありません。また、あらゆる戦争について、賛否等思想を述べるものではありません。また、狩猟・採集社会や農業社会を称賛する意図も批判する意図も有りません。


①農業は常に成功するとは限らない|第三章:なぜ弥生時代以降戦争は勃発するか?


弥生時代以降、米農業の広まりとともに、次のような流れになったとされます。

米は人が生きていくのに必要な栄養を有している上に、大量増産と長期貯蓄が可能。

米農業によって、人々は大規模な食糧貯蓄や貯蓄量を増加し続けること等に成功。

栄養失調の減少や栄養を満たせる者の増加等から、人口増加へ(農業をしていない縄文時代日本列島の人口は終わり頃で30万人程とされるが弥生時代の終わり頃には50万人を突破したとされる)。



大規模農業開始後のこうした流れは、狩猟・採集時代にはあり得なかった大規模戦争が、勃発する一因ともされます。

例えば、或る地域で農業に失敗したとします。

農業というのは、人工的に食糧を増産すること、自然に有る以上に食糧を増産することでもあります。そして農業で食糧が増えたことに連動して、人口は増えました。

この状態で、農業に失敗するとどうなるか?

自然に有る食糧だけでは足りないため、食糧難に陥る人がたくさん出てくるのです。

上にも書いたように、狩猟・採集社会である縄文時代の日本列島の人口は、約30万人です。自然に有るのみの食糧では、日本列島で約30万人の食糧で限界ともとらえられます。それが、弥生時代の終わり頃には、50万人を突破したとされます。

もちろん、日本列島あちこちの集落で一斉に農業に失敗した上に、貯蓄まで底をついて20万人の食糧が足りないということはあり得ないでしょう。

ですが、農業に失敗した地域や食糧貯蓄が尽きた地域が一定数有れば、そうした人々が連合して、食糧貯蓄の有る地域へ襲撃することもあったとされます。


②農業に適した土地と適していない土地とある|第三章:なぜ弥生時代以降戦争は勃発するか?


だからこそ、農業に失敗したくないし、米の貯蓄は増やせる時に増やしておきたいものです。

そのためにも、できる限り農地を広げていきたいです。



ですが、米農業はどんな土地でも行えるわけではありません。適した土地とそうでない土地とあります。

適していない土地に暮らす者は、どうしても農業の失敗率は上がってしまうでしょう。

そんなこんな、農業に適した土地を手にしたい者はたくさんおり、競争倍率はアップします。

話し合いで解決しないなら、争いへと発展することになります。

弥生時代の史料は少ないので、後の時代の状況からの参考。源頼朝は伊豆に流されていた時に、「肥沃な土地を得ている者たち連合」VS「農地に適さない土地の者たち連合」の争いに巻き込まれた形跡も残っています。


③農業に失敗した地域と貯蓄の有る地域の格差|第三章:なぜ弥生時代以降戦争は勃発するか?


日本列島全域あちこちの集落一斉に、農業に失敗することは基本的に無いでしょう。

また、どこかに食糧貯蓄は有るものです。

果たして、餓死する可能性のある人たちは、黙って餓死を受け入れるか?おそらくは、連合して食糧貯蓄の有る地域を襲撃することも有るでしょう。


④大規模協調や大規模政治行政も|第三章:なぜ弥生時代以降戦争は勃発するか?


以上以外にも、農業開始以降の歴史で戦争が起こる理由は、さまざまに有ります。また、一つ二つの単純な理由とも限りません。以上の流れが農業開始後に戦争の勃発する理由の全てではないので、ご注意ください。



それから、農業を行っていないネイティブアメリカンも、大規模戦争を行った形跡が残っています。「農業を行わなければ戦争は起きない」ということでもないです。


以上、さまざま歴史記事の背景知識として、なぜ弥生時代以降の歴史で大規模な戦争が起こるか?一説を見てきました。

昔話等説話に応用するなら、大規模戦争の話や大規模戦争に勝利した英雄の話が出てきたら、弥生時代以降かなという推測もできます。

もちろん、他の部分と総合して判断しないと誤ることにもなりかねません。決めつけは禁物です。



また、弥生時代以降の歴史では、大規模戦争の勃発する一方で、大規模協調もまた見られます。

それは、現代でいう市町村や都道府県や国の起源かもしれないとする説も有ります。

それについては、次で見ていきます。


第四章:むらからくにへ?


大規模農業開始以降の時代に、むらとむらが統合してくにとなっていく様子の一説を、弥生時代を眺めつつ見ていきます。


①階層的で広域的な集落統合|第四章:むらからくにへ?


現代の政治行政は、階層的で広域的です。

イメージとしては、町内会が集まって市町村、市町村が集まって都道府県、都道府県が集まって国。

つまり、国をトップとする階層があって、上の層ほどより広域をまとめあげています。



こうした階層的で広域的な政治行政は、農業を開始したために起こったとする説も有ります。

逆に言えば、農業をしていない時代つまり狩猟・採集時代では、町内会以上のつながりは、基本的に無いのです。

日本列島各地に町内会程の集落が点在しつつ、集落どうしは独立しているのです。



なぜそう言えるのか?

その根拠の一つこそ、縄文時代と弥生時代の、集落遺跡や墓の比較です。


②縄文時代の集落と弥生時代の集落を比較|第四章:むらからくにへ?


弥生時代の集落遺跡や墓について。

遠く離れた集落どうし、またそれら集落に有る集落内の特定の人物を納める墓どうしは、共有事項のようなものが有る場合もあります。

例えば、遠く離れた集落Aと集落Bの、集落の全体的な作りが似ているとか集落A内の大きな墓と集落B内の大きな墓は、形式や副葬品が似ている等。

これらは、集落Aと集落Bに特別なつながりがあったことを示していると考えらラれます。



さらに、そんな共有事項の有る上で、規模や豪華さでは差がある場合もあります。

そして、より規模の大きくて豪華なものほど、数は少ないのです。

例えば、集落A内の大きな墓と集落B内の大きな墓と同Cと同Dと同Eと同F。墓の形式も副葬品も似ているものの、AとBとCのものは同じ規模同じ豪華さ。DとEは、AとBとCよりも規模が大きくて豪華。Fはさらに大きくて豪華等。

つまり、Fのトップとして、次にDとEを同格に、次にAとBとCを同格に、階層的で広域的なつながりとなったと言えます。



まるで、都道府県知事・市町村長・町内会長の人数に似ています。

或る都道府県において。知事は一人のみ。市町村長は何人もいる。町内会長は市町村長よりも多いです。

また、現代では、知事・市町村長・町内会長・一般の者の間に身分差は有りませんが、弥生時代では身分差が有ったとしたらどうでしょう?

知事は、その都道府県内の全域に、権限が及ぶ。市町村長は、都道府県内の一部地域に権限が及ぶ。町内会長は、市町村内の小さい範囲の存在。

知事が自身の墓を作るに、よりたくさんの人員の動員や税の投入をできます。よって、一番大きくて豪華な墓になり得ます。



一方、縄文時代の集落遺跡。

離れた集落どうしで交流をした形跡は有るものの、集落どうしで共有する規則のようなものや序列を示すものは、無いのが基本です。



どうして、弥生時代は広域的階層的に統合をしたのか?逆に、縄文時代だと、広域的で階層的統合はなかったのか?

それは、農業社会の弥生時代と狩猟・採集社会の縄文時代が一因とされます。



自然に有るだけの食糧で生きる狩猟・採集社会では、集落どうし大規模に対立することや協力することは、あまりなかったとされます。

一方の農業社会である弥生時代以降は、上で見たように、大規模戦争が勃発するシチュエーションも増えてきます。

そこで、戦争協力という形で、集落どうしが連合することも有り得ます。

また、農業には大規模土木工事も必要です。その協力という形で、集落どうし連合することも有り得ます。

その他にも、多々集落どうしが協力するシチュエーションも増えたとされます。



ただしご注意ください。

縄文時代から弥生時代になって、即刻集落統合が進んでいったわけでも無さそうです。

また、上に都道府県・市町村・町内会と書きましたが、現代のそれらのようなきっちりしたものかはわかりません。

市町村は一時的にできてはまた町内会ごとに分離したり、或る町内会は市町村AとBへと所属と離脱を繰り返したり。そんな可能性は残っています。

何せ、弥生時代の文字資料は少ないです。政治・行政の事務史料も乏しいです。よって、どんな政治・行政だったのかは、よくわかっていません。あくまでも、現代まで残った物的史料や後の史料豊富な時代の似た状況からの推測や経済学の応用やらです。



また、弥生時代と一言で言っても、約1000年間も続いています(解釈によって500年間~千数百年間と開き有り)。どんな規模で集落が統合していたか、どんな政治・行政スタイルだったか、年代によってもさまざまなので、ご注意ください。


③さらなる広域的階層的まとまりへ|第四章:むらからくにへ?


教科書等では、原始の小さな集落をむら、むらどうしの統合で出現した階層的広域的なつながりをくにと呼んだりしますね。



それと、少し派生しますが、弥生時代の「くにどうしの関係」や「各くにと中国王朝との関係」は、極めて複雑です。

くにどうしで争ったり、各くに別個に中国大陸と交易をしたり。弥生時代の日本列島は、小国分立状態の様相も呈しています。



そのような小国が集まって、日本列島広域にまとまってできた邪馬台国は、弥生時代の後期~古墳時代の初め頃のものとされます。



また中国大陸では、くにをまとめたような王朝も登場をしています。



以上、さまざま歴史記事の背景知識として、むらからくにへまとまる様子を、昔話の背景として見てきました。

昔話において、集落と集落で大規模協力したり大規模争いになったら、弥生時代以降に作られたものと推測できるかもしれません。

また、集落内に身分の上の者がいたり、集落外にその者よりさらに身分の上の者がいるなら、弥生時代以降に作られた者と推測できるかもしれません。



もちろん、他の内容等と総合して判断をしないといけないですけど。是非さまざま昔話や書籍に触れてみてください。



それから、上に、階層的な関係について触れました。関連して、弥生時代から、身分差や職業も生じたり高度になったととされます。それらは次で見ていきます。

また、都道府県のさらに連合して日本列島広域にまとまる様子や邪馬台国については「米農業で社会は大変遷?弥生時代2【歴史に怪奇&ロマン】」で見ていきます。


第五章:大規模農業から職業や身分差へ?


農業開始以降の時代に、身分差や職業の生じる様子を、弥生時代を眺めつつ見ていきます。あくまでも一説です。



※本記事は歴史を眺めることを目的としており、身分差や職業に対する賛否や思想等を示すものではありません。


①農業開始と身分差|第五章:大規模農業から職業や身分差へ?


上で見たように、農業社会は、自然に有る以上に食糧を大量増産する社会です。

米は、生きていくのに必要な栄養分が豊富で、大量増産や長期保存も可能です(米のみ食べていきていくことをおすすめしているわけではありません)。

よって米の貯蓄量は、年々増やすことも可能です。



一方で、上の「なぜ米は主な農産物に選ばれたか?」「大規模農業と人口増加」「大規模農業開始から大規模戦争へ」等で見たように、誰もが米農業の恩恵を受けられるわけではありません。

こうして、人それぞれ、米の貯蓄量に差が出てきます。このことが、身分差の一因ともされます。



また、米農業を行うにしても、大規模土木工事が必要なこと等、一人ではできません。たくさんの米貯蓄があれば、米を現代でいう給料のようして人員を雇うこともできます。

こうして、社長のような立場と従業員のような立場に身分が分かれることになります。

このことも、身分差に分かれる一因とされます。


(あくまでも例えです。現代、社長と従業員の間に身分差はありません。また、給料は身分の上の者から下の者にもたらされるものではありません。)


また、上の「大規模農業開始でむらはくにへ」で見たように、広域的階層的な身分差が生じていますが、その一因はよりたくさんの税を得られるかどうかでも有ります。

弥生時代において、米が税であった可能性も有ります。より広域からの米を集められることも、より上の立場のになる条件の一つだった可能性も有るのです。


(あくまでも例えです。現代、より広範囲からの税を集めるからといって国が都道府県より偉いことはありません。同じく、都道府県と市町村の関係も。)


②農業開始と職業|第五章:大規模農業から職業や身分差へ?


上の「なぜ米は主な農産物に選ばれたか?」で見たように、一人ひとりできうる限りの米農業を行うと、一人で食べきれないだけの米を収穫できます(歴史の結果論であり米農業を行う一人ひとりは楽ではありません)。



となると、みんながみんな米農業をすることが得策なのか疑問も生じます。

例えば、鉄の鍬を作る者を想像してみましょう。

鉄の鍬とは、米農業の生産量を大幅に増やしたものの一つとされます。ですが、米農業に従事していると、鉄の鍬を作る時間は有りません。

そこで、鉄の鍬を作ることに専念する者が必要です。

そして、鉄の鍬を作ることに専念する者は、鉄の鍬をもたらす代わりに、米農業に従事して米の余っている者から、米をもらうのです。



鉄の鍬以外にも、須恵器等かまどを用いるような高度な土器を作る者も登場します。



こうして各職業に分かれて専念することで、各職業はどんどん発展する一因になるともされます。


③狩猟・採集社会では身分差や職業は生じにくい?|第五章:大規模農業から職業や身分差へ?


狩猟・採集社会は、自然に有るだけの食糧で生きています。農業社会と違って、食糧の大規模貯蓄はできません。

魚群が押し寄せて大漁となって塩漬けで保存することで、大規模食糧貯蓄をできる場合も有ります。でも、魚の来ない時期も有る等、プラマイゼロに近づきます。また、貯蓄量自体も、大規模農業程にはなりません。



食糧が余りにくいということは、上に書いたような、「農業社会における人々の米貯蓄量の差」といった食糧差は生じにくいです。極端に言えば、プラマイゼロで平等です。

狩猟・採集社会の縄文時代にも身分差は有ったとされますが、弥生時代以降の食糧差といった富の差による身分差とは、性質は違うとされます。



また、食糧が余りにくいということは、上に書いたような、「農業社会における余った食糧を得る代わりに鉄や高度土器を作る」という状況にはなりにくいです。縄文時代では、みんなで狩猟・採集や子育てをしていたとされます。或いは狩猟のための石器やら船等、狩猟・採集に関わることを、みんなでしていたとされます。

もちろん、縄文時代にも分業体制は有ったかもしれません。ただ、そのことと弥生時代以降の高度職業分化とは、性質が違うとされます。



以上を一因に、狩猟・採集社会においては、鉄や高度土器といったいわゆる専念が必要な新技術は登場しにくいとされます。また、種々分野における発展だって起こりにくい(そもそも分野に分かれにくい)とされます。

もちろん、そんな狩猟・採集社会だからこそ知っているすばらしい宇宙の側面や人間味や人間以外の動物や自然との関わり方等も有ります。

「原始人だ」なんて、バカにはできませんよ。是非、縄文時代の研究書等に触れてみてください。



本記事の内容を踏まえて、「米農業で社会は大変遷?弥生時代2【歴史に怪奇&ロマン】」では、日本列島が広域にまとまる様子を見ていきまず。日本史教科書で有名な卑弥呼の出てくる時代ですね。


以上「米農業で社会は大変遷?弥生時代1【歴史に怪奇&ロマン】」。次回「米農業で社会は大変遷?弥生時代2【歴史に怪奇&ロマン】」。



※本記事は科学記事・学術記事ではありません。

※本記事は、本記事作成時の情報を本記事作成者の裁量で用いて作成しており、正確性の保証は有りません。また、最新情報は変化している可能性も有ります。

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太古世界の旅も?口承文学とは?【歴史に怪奇&ロマン】

人々の生活の中から生じたとされる昔話や口承文学。単純なことばの中にも、感性やら知恵やらセンスやら、さまざまにつぎ込まれているように思います。

今回は、「口承文学」の意味・概要・特徴等をざっくりと眺めます。もしかすると、地球上に国の無かったような太古世界や現生人以外のヒトも併存していた太古世界等、とてつもなく古い時代を生きた人々と、間接的に接することも可能かもしれません。

文庫本換算2ページ程です。他記事は「本blog全記事の一覧」へ。





第一章:口承文学の意味


文字ではなくて口頭で伝えられる文学を、口承文学と言います。

『桃太郎』等全国的に有名な口承文学も有れば、或る土地にのみ有名な口承文学も有ります。

また、人類史において、ことばの歴史は文字の歴史よりもずっと古いです。最古の文学は自然と、口承文学となります。

現代でも、口承文学は作られています。プロの手によるものも素人の手によるものも、ばっちりと趣向を凝らしたものも何気なくしゃべっている内にできたものも、いろいろな形で、いろいろな所で、作られています。学校の怪談も、その一つとされます。



以上の辺りからも、怪奇趣味の方は、口承文学に怪奇的想像を巡らせたりするかもしれません。

世界の秘境に脅威の口承文学も存在するとか、口承文学には超自然的な場面も有るけどあれは誰かの実体験であるとか、現生人が地球上に登場したのは約30万年前とされるけれどその時には原人や旧人も併存しているため或る口承文学は原人や旧人と接触した実体験を伝えているなんて。


第二章:口承文学の特徴をいくつか


口承文学の特徴の一つが、「変化」です。

口承文学が語られるシチュエーションや目的等は多種多様であり、それらに応じて話の内容は微妙に変化します。

また、口承文学の語り手とは、プロもいる一方でおじいさんおばあさんが何気なく孫に語るとかその孫が友人に語るとか、多種多様です。そんな語り手の裁量で、話は微妙に変化します。

また、話を聞いた者は違う者に話す等して、伝播もしていきます。人づてに伝播する内に、ずいぶんと遠い地域に伝播することも多々あります。



例えば、祖父母は、孫を楽しませる目的で口承文学を語る場合と山奥に一人で行くのは危険であるという教訓として口承文学を語る場合とでは、話す時の表情や抑揚等は全く違いますね。

孫は、その話を友人に聞かせる時に、祖父母の意図と裏腹に楽しいと思った場面だけを語って何の話かわからなくなるかもしれません。そこで友人は、何の話か納得するために自分で話を作って補ってみたり。

その他にも、祖父母の知り合いに日本列島を行脚する商人がいるとすると、商人が日本列島の遠い地域で聞いたその土地の教訓話を祖父母にふと教えたり。ただし、その話を聞いた祖父母は自身の土地版にアレンジして孫に生活上の注意として語ったり。



以上のように、口承文学は広く伝播しますが、驚くほど広範に伝播します。さらには、時代を跨いで伝わることも多々有ります。

つまり口承文学の内容は、古今東西で交ざっているものも多いです。



例えば、古い時代から次の世代へとリレーし続けて現代に伝わった話も有って、源流はいつの時代にまで遡るのか知れません。遠い海外から日本列島へと入ってきて、いつの間にか日本のものとして認知されている話だってあります。次に一例を引用。


インドから伝わった『ねずみの嫁入り』
 口承文芸の中には、口伝えに世界に広がったものもあります。日本でも有名な『ねずみの嫁入り』は、もともとインドのお話で3世紀頃に作られた『パンチャタントラ』という説話集に載っています。それが、東南アジア、中国、朝鮮半島を口伝えで伝わり、日本に来ました。日本の文献に登場するのは、13世紀の『沙石集』ですから、1000年ほどかけて伝わったことになります。
 国や文化を超えて伝わった背景には、ねずみがあらゆる場所にすんでいることや、高望みをしたけど、落ち着くべき場所に落ち着いたというわかりやすい話であったことが理由だと考えられます。話の内容が特徴的で万人の共感を得にくいものには、こうした伝播があまり起こらず、特定の国や地域の文化の特質を表していることがあります。

出展:夢ナビ|『桃太郎』も『ねずみの嫁入り』も!口伝えに広がる文学の世界




また、現代なら、インターネットの高速通信や飛行機での往来の影響も有り、口承文学の伝播スピードは速いです。



以上の内容からしても、やはり怪奇趣味の方は、怪奇的想像もしてしまうところ。

或る口承文学の内容を分析したところ、少なくとも300年以上生きていないと作れないストーリーだとか、ネアンデルタール人と接したことのある現生人類の先祖が作った口承文学が有るだろうなんて。


第三章:口承文学は民俗学等の重要資料にもなる


口承文学には、各土地の歴史やら各家々の歴史についての話も有ります。よって、その土地の歴史やら家々の歴史を知れる資料にもなります。

また、口承文学で何気なく「おじいさんはどこどこで働いておりました」とあるなら、「この土地にこんな仕事があって高齢者も従事していたんだ」と知れます。

口承文学は、歴史を知る重要資料になり得ます。



するとやはり、怪奇趣味の心も騒ぐところ。日本国史ではスポットは当てられていないけど、驚異的な地方有力者がいたなんて。


第四章:口承文学を基にしたSF等も有る


口承文学を題材にしたSFやコズミック・ホラー等もあります。

上に怪奇趣味的な想像を書いてきましたけど、そんな題材の小説も多々有ります。

SFやコズミック・ホラーに限らずに、口承文学を題材とする小説は多いですね。


まとめ


以上のことは、日本特有のことではなくて、世界的に見ても当てはまる場合が有ります。本記事が口承文学や説話、研究本等に触れるきっかけにもなればとも思います。

また、以上のように口承文学には時代背景を読み取れる場合も有ります。民俗学や歴史学、文学、心理学、さらには科学技術史等さまざまな学問にも応用されていますね。

逆に時代背景を知ることで、口承文学を理解しやすくなる場合も有ります。「職業も自治体も無い?縄文時代【歴史に怪奇&ロマン】」「米農業で社会は大変遷?弥生時代1【歴史に怪奇&ロマン】」等で時代背景も取り上げています。興味有る方はご覧ください。


以上、「太古世界の旅も?口承文学とは?【歴史に怪奇&ロマン】」。



※本記事は科学記事・学術記事ではありません。

※本記事は、本記事作成時の情報を本記事作成者の裁量で用いて作成しており、正確性の保証は有りません。また、最新情報は変化している可能性も有ります。

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職業も自治体も無い?縄文時代【歴史に怪奇&ロマン】

今回は、遺跡探訪等のきっかけになればと、縄文時代をざっくりと眺めます



縄文時代は、日本史特有の時代区分で、最古の時代。実に、1万5000年以上も前。


また唯一、大規模米農業を行っていない時代。そのせいで、大規模米農業を行っている弥生時代以降~現代までなら普通に有るものも有りません。

例えば、職業に分かれていることや市町村都道府県国等広域政治行政組織が有ることなどなど。


その一方で、縄文人の生活や制作物の痕跡等から、現代人と変わらない面も、ふと垣間見えたり。


太古縄文人と現代人の間に有る違いと共通点から、縄文人から学ぶべきことも現代人の誇るべきものも見えてくるかもしれません。

また、「勉強しよう」なんて構えなくても、太古へのロマンや怪奇を感じるだけでも、良い気分転換にもなりますね。



第一章で、縄文時代の年代。

第二章で、縄文時代と一つ前の旧石器時代の違い、縄文時代と一つ次の弥生時代の違い。

第三章で、縄文時代の暮らしを地域別と時代別で。

第四章で、縄文時代が世界的に見て特殊とされる面について。

第五章で、縄文時代のはじまりと終わりに影響を与えたとされる環境変動について。


本記事の分量は、文庫本換算5ページ程です。以下目次をタップ・クリックでジャンプできるので、しおり代わりにどうぞ。(他記事は「本blog全記事の一覧」へ。)





第一章:縄文時代はいつのこと?


縄文時代(じょうもんじだい)は、現代から約17000年前~約2000年前までの、約15000年間。

また、「縄文時代」という時代区分は、世界史共通の時代区分ではなくて日本史特有の時代区分です。そして、日本史特有の時代区分で最古です。

古さにこそ怪奇やロマンを見出す方にとっては、「最古」ということばに想像を巡らせてしまうところですね。



次に、縄文時代とその前後の時代を比較します。それによって、縄文時代の特徴を掴みましょう。


第二章:縄文時代と一つ前後の時代との違い


①縄文時代と旧石器時代の違い|第二章:縄文時代と一つ前後の時代との違い


縄文時代の一つ前の時代は、旧石器時代です。

上に、「縄文時代は最古」と書きましたが、あくまで日本史特有の時代区分に限ってのことです。旧石器時代というのは世界史に共通の時代区分です。



旧石器時代も非常に長く、年代や地域によってさまざまな特徴があります。本記事では「日本列島の旧石器時代」に限定して見ていきます。



旧石器時代は、縄文時代に比べて寒冷な時代です。

寒冷な時代の特徴の一つは、温暖な時代に比べて植物が育ちにくいこと。

植物が育ちにくいと、人の食べ物の量も減少します。例えば、人の食糧となる木の実が実りにくいし、人の狩猟対象である草食獣も減少してしまいます(草食獣が食糧とする植物が育ちにくいので)。



食べ物の量が少ないと、定住することは難しくなって、食糧探しの旅をくり返す傾向にあります。

ここが縄文時代と旧石器時代の大きな違いの一つです。温暖な縄文時代では、定住する例が増えるのです。

旧石器時代の遺跡と縄文時代の遺跡を比べると、縄文時代の遺跡では、竪穴住居等定住を示すものが増えていきます。中には、数百年以上住み続けられた痕跡の有る集落遺跡も発掘されています。



定住以外で、旧石器時代と縄文時代の大きな違いは、石器の精密さです。

旧石器時代の石器よりも縄文時代の石器の方がより精密です。弓矢の先等細かいもの、石を打ち掻いただけでなく鋭利に磨いたものなどが増えていきます。

ちなみに、石を打ち掻いた石器を打製石器といい、磨いた石器を磨製石器といいます。



石器以外にも、縄文時代には、動物の骨を削りだした釣り針や多種多様の土器などなど、高度な技能や知識を必要とするものも増えていきます。



以上、縄文時代と旧石器時代の比較でした。ざっくりおさらいします。

・定住しない旧石器時代と定住の縄文時代。

・打製石器中心の旧石器時代と磨製石器の出現する縄文時代。

・釣り針や土器などなど、高度な技能・高度な知識を必要とするものが増えていく縄文時代。



旧石器時代の日本列島。人が食糧を求めてうろうろしていた時代が有ったなんて、彼ら彼女らは、現代人には無い或いは現代人は用いないため退化してしまった感覚や能力の持ち主だったのでしょうね。

怪奇趣味の方なら、超能力なんて想像してしまうかもしれません。まあ、飛躍しすぎの気もしますけどね。



次に、縄文時代と弥生時代(縄文時代の次の時代)の比較です。


②縄文時代と弥生時代の違い|第二章:縄文時代と一つ前後の時代との違い


縄文時代と弥生時代の大きな違いの一つは、農業をする社会かしない社会かにあります。

縄文時代以前の遺跡と違って、弥生時代以降の遺跡からは、水田跡、農業道具等が発掘される例が増えていきます。



旧石器時代も縄文時代も農業を行なっていない社会。弥生時代のみならず、以降現代に至るまでの全時代が農業を行う社会です。



農業の開始によって、社会は大変革します。


例えば職業。

現代では多種多様の職業が有りますが、それは農業がきっかけとされます。

狩猟・採集社会では職業は無くて、みんなで狩猟や子育てをしていたとされます。

また、職業分化によって、現代で当たり前の、「年々理科学技術経済等各分野の進歩」の一因とされます。


例えば食糧備蓄。

現代では、有り難いことに、食糧備蓄はどこかに有ります。スーパーや貨幣経済が成立するのも、食糧に余剰が有ることも一因ですね。また、食糧余剰を一因に、大規模農業以降の社会では、人口が急激に増加しています。

一方の狩猟・採集時代。大規模農業をしていないため、「努力するほどにたくさん食糧を得られる」「食べきれずに余る」概念は無くて、自然に有るだけの食糧で賄える人口に落ち着いて、食糧余剰は誰にも無くてプラマイゼロだったとされます(時期によっては大漁の魚が到来して保存することも有るが魚の来ない時期も有って一年単位でみればプラマイゼロ等)。


例えば政治行政。

現代では、町内会が集まって市町村、市町村が集まって都道府県、都道府県が集まって国となる等、階層的で広域的な政治行政が成されています。これは、農業がきっかけで起こったこととされます。

一方の狩猟・採集社会。町内会程の集団で生活をするのは同じでも、町内会がまとまって市町村となる等は基本的に無いとされます。そんなこんな、日本列島中でまとまって国を形成することも、無いとされます。

あくまでも本記事筆者の思うこと。歴史に名の残った縄文時代の有名人って、知る限りいません。みんなで狩りをしてみんなで子育てをする時代。広域政治行政の無い時代。特定少数者のみが就けて国中の者から注目を浴びる職業も無いため、取り立てて目立つ者はいないのかもしれませんね。縄文時代から続くような昔話に超人的な存在や神々のような存在も有るが、史実としても、職業的功績で有名になったものでも無いですね。



その他にも、農業開始による社会の大変革は多々あります。詳細は「米農業で社会は大変遷?弥生時代1【歴史に怪奇&ロマン】」で見ていきます。



弥生時代を思うと、多少は現代人に近づいた感じも有りますね。




以上、旧石器時代と弥生時代についてみたきました。その上で、次に縄文時代の暮らしを見ていきます。


第四章:縄文時代の暮らし


①地域別|第四章:縄文時代の暮らし


上にも見たように、縄文時代は約13000年も続いています。

その間に、暮らしの様子は大きく変わります。

また、地域によっても、暮らしの様子は違います。


例えば、地域別に食糧をクローズアップしてみます。

・ブナ、ナラ、クリ、トチノキといった、落葉性堅果類を主食とした地域。

・トド、アザラシ、オットセイ等を捕獲する寒流系地域。

・カツオ、マグロ、サメ、イルカ等を捕獲する暖流優勢地域。

・カモシカ、イノシシ、ニホンジカ等陸上生物の狩猟を行う地域。

・以上のダブる地域。

食糧は地域によってさまざまだとわかります。



以上のように食糧に違いが有るということは、食糧を得るための道具にも違い等が有ります。それも一因に、地域によって、狩猟・採集に用いられる石器の種類や形は大きな違いだってあります。



それから、陸上動物の狩猟では特にイヌが重要な役割を果たしていたとされます。縄文時代の集落遺跡から、イヌを飼っていた形跡が有る場合もあります。



また、縄文時代には祭りも行われていたとされますが、祭りに用いられる土器の姿も、地域によって違いがあります。

あくまで本記事筆者の想像ですが、祭りでは食糧に感謝することもあったかもしれませんから、食糧が違えば祭りの内容も違って当然なのかもしれません。


②時代別|第四章:縄文時代の暮らし


時代別に縄文土器や石器等の傾向が表れています。その傾向から、縄文時代を6期に区分します。

・1万7000年前~1万1500年前を草創期。

・1万1500年前~7000年前を早期。

・7000年前~5500年前を前期。

・5500年前~4400年前を中期。

・4400年前~3200年前を後期。

・3200年前~2400年前を晩期。


第四章:縄文時代は世界的に見て特殊?


縄文時代は、世界的に見て特殊であるとする説もあります。

狩猟・採集社会では職業は起こりにくいため、「専門家」は存在しません(詳細は「米農業で社会は大変遷?弥生時代1【歴史に怪奇&ロマン】の第五章」で)。例えば、縄文時代には、弥生時代以降のように土器の専門家はいません。よって、縄文土器は、狩猟・採集や子育ての合間に作られたものとされます。

ところが。それにしては、制作方法や芸術性や技能等レベルが高すぎるのです。世界の考古学者の中には、縄文土器を見て、縄文時代に農業は行われていたはずと思った人もいるくらいだそうです。

なぜ縄文土器は高度なものとなり得たのか?

土器作りに専念する人の代わりに、狩猟・採集をしてあげる人がいた或いは集落ぐるみそんな体制だった、とする説も有ります。

また、そのような狩猟・採集の肩代わりが可能だったのは、日本列島が山の幸海の幸に恵まれていたからだといわれています。

大規模農業をすれば食糧が大規模に余る傾向にあるために、食糧のことは農業従事者に任せる代わりに鉄を作るとか何か専門的なことをする分業体制になりやすいです。でも、自然に有るだけの食糧で生きる狩猟・採集社会で分業体制を実現できるのは、日本列島の豊かな自然の恩恵とする説も有ります。


第七章:縄文時代は温暖化ではじまって寒冷化で終わる?


旧石器時代の終わり頃、寒冷に向かっていた気候は転じて、上昇に向かいます。

その後、縄文時代前期にかけて温暖化は続きます(短期的に寒冷に向かう時期もあり)。

その後、縄文時代後期である約3500年前から、寒冷化に転じます。



上に書いたように、寒冷化すると自然に有る植物は減少して、食糧は減少します。まして、自然に有る食糧で生きる狩猟・採集社会ではその影響は大きいのです。

寒冷化に転じた縄文時代の終わり頃、食糧減少を一因に人口は減少します。

そして、食糧減少を補うために、農業をはじめたとする説も有ります。


まとめ


以上、縄文時代の概要を見てきました。

現代社会とは、大きな違いも見て取れたと思います。

そこから、現代人が縄文人に学ぶべきこと、現代人が縄文人に誇れるもの、さまざまに有ると思います。

また、本記事が縄文時代に関する書籍や遺跡に触れるきっかけになればばとも思います。


最後に、縄文時代おすすめ書籍をご紹介。『縄文の思考』(ちくま新書)です。

縄文時代の遺跡から、縄文人の思考について研究した書籍です。

農業をしている社会でありハイテク社会でもある現代。狩猟・採集社会である縄文時代。我々と縄文人とで、どのような精神の違いがあるのだろう?我々と似ている面にも違う面にも触れられて、飽きない書籍だと思います。

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以上「職業も自治体も無い?縄文時代【歴史に怪奇&ロマン】」。次の弥生時代は「米農業で社会は大変遷?弥生時代1【歴史に怪奇&ロマン】」へ。



※本記事は科学記事・学術記事ではありません。

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